忠犬タマ公像、新潟・五泉市が横須賀に寄贈へ(神奈川)
2016年11月8日(火) 朝日新聞
新潟県五泉市立愛宕小にある忠犬タマ公の銅像=五泉市提供
雪崩に襲われた飼い主を2度にわたって救い出した「忠犬タマ公」の美談が新潟県五泉市に伝えられている。
タマ公が縁で交流が続く横須賀市に、五泉市からタマ公の銅像が贈られることになった。
銅像が新潟県外に設置されるのは初めて。
五泉市の担当者は「タマ公のことを多くの人に知ってもらえれば」と話している。
タマは新潟県川内村(現・五泉市)で生まれた雌のシバイヌ。
1934年と36年の2度、狩猟中に雪崩に巻き込まれた主人を助けた。
両足を血だらけにしながら雪を掘ったタマの活躍は、当時の新聞などで報じられ、「忠犬タマ公」として知られた。
横須賀とのかかわりは、この話に感激した新潟県出身で横須賀市在住の海軍ゆかりの人たちが36年に衣笠山公園(同市小矢部4丁目)に石碑を建てたのが始まり。
石碑に揮毫(きごう)したのが小泉純一郎元首相の祖父で、横須賀市長を務めた小泉又次郎氏。
2002年には五泉市の小学生らが当時首相の小泉純一郎氏に「タマ公を全国に広めてほしい」と手紙を送った。
以来、相互訪問などで両市民の交流が本格化。
09年には災害時相互応援協定を結ぶ関係になっている。
五泉市によると、両市の「交流の証し」として銅像を贈ろうという話が浮上したという。
タマ公の銅像は現在、五泉市と新潟市に計4体あり、横須賀市に贈るのは五泉市立愛宕小学校にある銅像を複製したもの。
銅像はこれから制作に取りかかり、来年3月に横須賀市に贈る予定。
衣笠観光協会が3月下旬に衣笠山公園で開く忠犬タマ公慰霊祭でお披露目する予定。
五泉市商工観光課の担当者は「タマ公は、いたわりや助け合いの大切さを伝える地元の宝として語り継がれており、多くの人に知ってもらいたい」。
横須賀市の衣笠観光協会の鈴木一男会長は「タマ公が結ぶ長い縁を今後も大切にしていきたい」と話している。
(前田基行)
忠犬タマ公物語
主人の命を2回救った、立派な犬のものがたり
昭和の初め、早出川のほとり(旧川内村)の猟師の家に、柴犬のタマは生まれました。
飼い主の刈田さんは、素直で賢いタマを可愛がり、猟に出掛ける時はいつも一緒です。
元気に野山を駆け巡り、タマはりっぱな猟犬に育ちました。
昭和9年2月5日、刈田さんは猟仲間の小泉さんと、いつものようにタマをお供に八滝沢へでかけました。
獲物は鳥か獣か。
タマは雪の中でもにおいをかぎつけて、茂みに飛び込みます。
タマに追われて飛び立つヤマドリに、二人は鉄砲をかまえました。
「ダダーン!」・・・とその時。
大きく鳴った銃声が衝撃となって雪がくずれ、ものすごい雪崩となって二人を襲いました。
あっという間に雪に埋もれ、身動きもとれない刈田さん。
上の方で、タマが雪を掘る音がします。
「タマー、タマー」と懸命に呼びかけました。
刈田さんの声に応えるように、雪を掘るタマ。
ついに刈田さんの頭は雪の外へ・・・。
タマは両足を血だらけにしながらも掘り続け、刈田さんは脱出することができました。
一緒に行った小泉さんは、タマの活躍もむなしく、かえらぬ人に・・・。
山をおりるタマも悲しそうです。
タマの活躍ぶりは新聞で報じられ、主人の命を救った忠犬と褒めたたえられました。
それから約2年たった、昭和11年1月10日。
刈田さんは、近所の人たち三人と桜谷へムジナを狩りに行きました。
もちろんタマも一緒に、雪の積もった山を分け入って行きます。
両側の山は急斜面です。
ふと危険を感じた刈田さん。
「みんな、頂上の林まで上がれ!」と、叫びました。
しかし、足下の雪がグッと無気味な音をたてたかと思うと、「ドドドーッ!」。
雪けむりをたてて落ちる雪崩に、一瞬のうちに4人とタマは押し流されていました。
ゴロゴロと転がるタマ。
でも、大好きな刈田さんを助けようと、立ち上がって雪の上を探し回ります。
重たい雪につぶされて、次第に気が遠くなっていった刈田さん。
「もう、だめか」と死を覚悟した時・・・「ウーッ、ワンワンワン!」タマがまた助けにきてくれたのです。
果敢に雪を掘るタマ。
刈田さんは、またしても九死に一生を得ることができました。
「本当にありがとう、タマ」刈田さんはタマに抱きつき、何度もほおずり。
二度の殊勲をたて、タマは町の英雄になりました。
そして今も、タマの主人思いで勇敢な行動は、新潟中の人々に語り継がれています。