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映画「夢は牛のお医者さん」2

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【制作者のことば】

テレビ新潟 時田 美昭

報道記者だった私と知美さんとの出会いは、昭和62年。
「クラスメート」として3頭の牛が「入学」した小学校の取材でした。


素朴な木造校舎に懐かしさを覚え、それ以上に「素朴・ピュア」な9人の児童。
たちまちファンになりました。
そして迎えた「牛の卒業式」・・・。
これまで生きてきて、あんなに綺麗な涙を見たことがありません。


なぜこんなに純粋な子供が育つのか? 土地柄なのか? 家族なのか?もっと知りたくなりました。
しかし、当時聞かされていたのは、数年後には廃校になるかも知れない事・・・。
ならば、廃校まで密着していこう!
ローカルニュースの継続企画になりました。
当初は「素朴な学校・ピュアな児童」が取材対象で、特に知美さんにだけ焦点をあてることはありませんでした。
知美さんの「夢」は知っていました。
「牛のお医者さんになりたい」・・・でも、獣医になるにはいい大学を出ないといけない訳で、単純に「子供の夢だなあ」と記憶の片隅に忘れて、廃校後の4年間は会っていませんでした。
ある日、知美さんの家に電話してみると、「下宿して遠い高校に通っている」とのこと。
親元を離れて猛勉強している。
「高校3年間、テレビは見ない」と言う。
過去に聞いた彼女の「夢」を、本気で受け止めずスルーしていたテレビマンとしての自分が恥ずかしかった。
それからの私の夢は「彼女の夢に密着し、見届けること」。
知美さんからのお願いはただ一つ 「大学に落ちたら放送しないでね」・・・。
大学受験、そして獣医の国家試験合格を取材し、獣医になったばかりの春に「ズームイン!!SUPER」で放送した時には、16年の歳月が流れていました。
「夢をかなえた姿は、自分にも頑張る勇気をくれた」、「もう一度見たい」、「学校で子どもたちに見せたい」など、驚くほどの反響がありました。
しかし知美さんは、「夢がかなったのではない。 ようやく夢のスタートラインに立っただけ」と言います。
夢には続きがありました。
ならば私も、もうすこし「夢」に付き合わせていただきたい。
そんな矢先に起きたのが「東日本大震災」。
新潟県にも多くの方が避難してきました。
そんな家族・そして子どもたちにもう一度、いや、新しい「夢は牛のお医者さん」を見てもらいたい。
新潟の地方テレビ局が作る番組を、被災地はもちろん全国に見てもらうには、テレビではなく「映画」という手法があります。
社内では「無理だ、出来っこない」の意見が当然出ましたが、私は知美さんの生き方を見続けて、「はなから諦めるのではなく、挑戦する」が大事だということを彼女自身から教わってきました。
結婚して、子育てをしながらも家畜の獣医を続ける「今」の知美さんを通して、「夢の続き」だけでなく「家族・故郷・仕事の喜びと現実」を加えた26年間を描こう。
誰にも愛される「プロの獣医」になった知美さんの姿・・・。
彼女の生き方が私の背中を押してくれたからこそ、この映画は完成しました。
私の新たな「夢」が、ここに実りました。

【監督】時田美昭プロフィール
昭和35年 新潟県加茂市生まれ。
横浜放送映画専門学校(現在の日本映画大学)卒業後、昭和56年に「テレビ新潟」入社。
主に報道部、制作部に在籍し、「ズームイン!!朝!」などを担当。


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