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東大にハチ公の新銅像

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東大にハチ公の新銅像・・・飼い主の博士と「再会」

2015年03月08日 読売新聞・中日新聞




多くの人たちが見守る中、披露されたハチ公と上野英三郎博士の像(8日、東京都文京区の東京大学で)

主人の死後、渋谷駅で10年間もその帰りを待ち続けたという忠犬ハチ公の新たな銅像が東京大農学部キャンパス(東京都文京区)内に8日、お目見えした。
飼い主で、日本の農業土木学の草分け的存在だった上野英三郎博士(1871~1925年)に喜んで飛びつく姿が再現されており、関係者は「人と動物に通う愛情の深さを示す象徴にしたい」と話している。

上野博士が東京帝国大(現東大)農学部教授だったことから、日本の農業土木学の創始者とされる上野教授の功績と、人と犬との愛情の深さを知ってもらおうと東大の有志が計画、3年前から寄付を集め、準備を進めてきた。
1000万円を超える募金が集まり、ハチの80回目の命日である8日に除幕式を開いた。
除幕式で、銅像から白い幕が下ろされると、集まった約500人の市民らが拍手を送った。
公開された新たな像は、出張から戻った教授をハチが出迎える様子を表しており、塩沢教授は「思いっきりしっぽを振って顔をなめようとしている。お父さんお帰りなさいと言っているのでしょうね」と笑顔で話した。


忠犬ハチ公の東大キャンパス新銅像に「やっと会えた」と感動の声が・・・

忠犬ハチ公の80年の命日になる3月8日に東大農学部キャンパスにハチ公の新銅像が完成。
飼い主の東大農学部教授だった故上野英三郎博士に嬉しそうに飛びつくハチ公の姿に、「90年待ち続けた」「やっと会えたね」など、感動的すぎると多くの声が寄せられています ♪

忠犬ハチ公といえば、東京・渋谷駅のシンボル、多くの人たちの待ち合わせスポットとして有名です。
そのハチ公が死んでから80年になる3月8日・・・
飼い主だった東大農学部教授の故上野英三郎博士の没後90年になる今年に、博士の功績を後世に伝えようと東大農学部キャンパス内に新銅像の設置が考案されたようです。
上野博士は農業土木学を新しい学問分野として体系化した人で、日本近代農業の礎をつくった人だそうです。
「忠犬ハチ公は有名だが、飼い主のことがほとんど知られていない」と「ハチ公と上野英三郎博士の像を東大に作る会」が2012年に発足。
制作のための寄付を募り、2年間で約1,000万円を集めたといいます。
そう言えば・・・「忠犬ハチ公」の話って、映画なんかで感動的な逸話はよく知っていても、飼い主がどんな人かって、意外に知らなかったですね。
実はハチ公は、上野博士が地方の農地の現場に向かう時はいつも渋谷駅へ、授業のある日は大学へ送り迎えをしていたとか・・・。
ハチ公にとっては渋谷駅も思い出の場所でしょうが、東大農学部のキャンパスもいつも通っていた忘れられない場所だったんですね。 

忠犬ハチ公の生涯


ハチ公は牡の秋田犬で、1923年(大正12年)に秋田県大館市に生まれましたが、生後間もない50日で東大農学部の教授だった上野英三郎博士の元へ(写真)。
1924年(大正13年)の1月のことでした。

ハチは生まれた当初から体が弱く・・・
そんなハチを大の犬好きだった上野博士はいつも気遣い、自分のベッドの下に寝かせるなどしてハチを可愛がって、大学や渋谷駅まで連れて歩いて送り迎えをさせていたそうです。
しかし、1925年(大正14年)5月21日、いつものようにハチに送られて大学に出かけた上野博士が突然、講演中に脳溢血に倒れて亡くなってしまいます。
ハチが上野博士に飼われて17ヶ月目のことだったといいます。
上野博士の通夜・葬儀の間からしばらくは食べ物を口にすることもない日々が続いたとか・・・
上野博士の死後、ハチは上野の妻、八重の親戚の日本橋の呉服屋へ預けられますが・・・
人懐っこいハチは呉服屋に客が来るとすぐに飛びついてしまい商売にならないと・・・浅草へ。
しかし、浅草に引っ越した後も近所の住民とトラブルを起したり、散歩中に8キロも離れた渋谷の旧上野宅に向かって走って行ってしまうハチの姿がたびたび見られたため、元々、上野宅に植木職人として出入りしていてハチを幼い頃から可愛がっていた代々木の小林菊三郎宅へ預けられることになります。
それが、1927年(昭和2年)の秋・・・
上野博士が亡くなってから2年も経った頃です。
この頃から、ハチが渋谷駅で亡くなった上野博士が帰る頃の時間になると頻繁に目撃されるようになります。
それからは、ハチは小林宅から700~800m離れた旧上野宅を必ず訪れてから渋谷駅まで足を運んで、改札口前にじっと座って待ち続ける毎日・・・

晩年のハチ公

その後は、心ない通行人から虐待を受けたり子供に悪戯されたりすることもあったようですが、決して人間に向かって牙を向けたり吠えたりしなかったといいます。
ハチの写真をよく見ると、左耳だけが垂れてしまっています。
それは生まれつきではなく、野犬に噛み付かれたことが原因だといいます。
そのうち、来る日も来る日も駅に佇むハチの姿に多くの人が同情を寄せるようになり、すでに体が弱り始めていたハチを渋谷駅の職員などが面倒を見るように・・・。
そして、上野博士が亡くなってから、なんと10年近くが経った1935年(昭和10年)3月8日早朝・・・
ついに天国の上野博士の元へ・・・
この時ハチは11歳でした。

ハチは渋谷駅付近の路地で死んでいるのが発見されますがそこは渋谷駅のちょうど反対側で普段ハチが行くような場所ではなかったといいます。
ハチは10年間も毎日、毎日・・・
渋谷駅まで通い続けたんですね・・・(泣

動物は、自分の死に際を人の目に触れさせないといいますから、おそらく死期を悟ったハチが自ら最後の場所を選んだのでしょう。
ハチの死は、フィラリアという病気が原因だったそうで、その後、東大農学部で解剖後に毛皮は剥製にされて上野の国立科学博物館に保存。
現在、ハチは上野博士と同じ青山霊園に葬られて亡き主人の墓のすぐ隣に寄り添うように眠っています。

渋谷駅付近で発見された冷たくなったハチ公


青山霊園に葬られて亡き主人の墓のすぐ隣に寄り添うように眠っているハチ公


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