ペットを亡くされた方のお話を掲載
■広島県広島市 女性
もうすぐ四十九日をむかえます・・・。
あと、2週間で15歳の誕生日でした。
若くして亡くなったわけじゃない。
長生きの方だったと思います。
亡くなる二か月前から心臓が悪くなり徐々に弱っていったので、この日を覚悟できていました。
自分のできることを一生懸命にやったと思うので介護や看病の後悔も不思議とありません。
最期を看取ることも出来ました。
ある意味、理想的なお別れだったと思います。
でも・・・
トムがここにいない・・もうここにはいない。
その現実が哀しく苦しいのです・・・
何をしていても涙が出ます。
骨壺を抱きしめて泣きます。
丁度、母の介護と自分の病気と愛犬の介護が重なり、正直辛かったです。
特にここ半年間は、食も細くなり夜鳴きもひどく寝てくれないので私の精神や体力も限界に感じていました。
そんな日々の中、トムは旅立ってしまいました。
トムは・・・私の体を気遣って亡くなったと思うのです。
「ボクのことは、もういいよ。苦労しないでいいよ」って、「でも、ボクのこと忘れないで、ずっと忘れないで」って・・・
だから・・私の誕生日の日に、私のいつも座っているパソコンの前まで行って倒れ最期を迎えたのだと思います。
この日を自身で選んだのだと思いました。
この事で、私の哀しみはより深いものとなりました。
涙が枯れる ことはありません・・・。
だけど、ある日ネットで虹の橋の“雨降り地区”のお話を読んで、私が、ずっと泣いていると、このコは冷たい雨に打たれて寒く悲しい思いをしているのだと知りました。
それから、あまり泣いてばかりいてはいけないなと思うようになりました。
分骨をして一緒にいようと決めました。
小さなカプセルを購入し、小さな遺骨を納めました。
色んな意見があり、迷いましたが自分が納得する方法を選びました。
こんなにも自分が打ちひしがれるとは想像ができませんでした。
でも・・・それだけ愛していたのだと今は思っています。
そして、私の誕生日を選んで旅立ったトムに強い絆を感じています。
■茨城県下妻市 主婦52歳
我が家の癒し系アイドル ぺぺ(♀雑種)が旅立ってから早1ヶ月半。
12歳9ヶ月でした。
散歩から帰った途端、倒れて突然息を引き取りました。
全く信じられない受け入れ難い日々が続きました。
今でも「お散歩まだ?」とこっちを見つめている気がします。
「ペペと一緒に歩きたい」そんな思いが募り、毎朝慣れ親しんだ道を再び歩き始めました。
ペペの首輪を持って。
歩きながら瞼が熱くなることもありますが、それでも歩き続けます。
ペペへの思いを、うまいとは言えない文章で書き綴ってみたりもしました。
そして、こう思うことにしました。
ペペは、神様が「時がくるまで、大切に育ててくれ」と我が家に託した預かりものであり、お迎えが来たら、神様にお返しするもの。
その時が来たのだと。
たくさんの思い出を残して。
ペペは3ヶ月位の子犬の時、我が家に迷い込んできて家族になりました。
平成13年3月9日のことでした。
3月9日、サンキュー、ありがとう ペペ 「いつも心の中にいるからね」
■愛知県犬山市 女性59歳
私は昨年11月19日にシーズ犬(エリザベス)との別れがありました。
50日目で私の手元に来て13年11ヶ月、生活をともにして、ずっといっしょで私の人生を支えてくれました。
思い出すといろいろなことがたくさんあります。
この子との別れは考えられませんでした。
でもだんだんに老いてきて確実に別れが近づいてきたことを認識させられ・・・。
でも私はこの子がいなくなったらどうなるんだろうととても不安で不安でたまりませんでした。
現実となり私の手の中で息を引き取りました。
私は体の中から何かが抜けてしまい自分自身のことがよくわからず泣き続ける日が続きました。
何も手に付かず、ただあの子を思い出して泣くばかり。
でもあの子が帰ってくるわけでもないし立ち直らなければと思い、ならいごとやスポーツにも出かける努力をしています。
あの子の存在の大きさを改めて考えさせられています。
ベスに今は感謝しています。
ベスありがとう。
天国でとびはねて遊んでいることでしょうか。
(今はあの子との日々を思い出してあの子への手紙を書いたりして心を落ち着かせています。)
■2014年03月29日
アメリカン・ショートヘア(メス)の雪ちゃん(享年18歳)
慰め上手の心優しい猫の「雪」
2歳下の妹がペットショップから迎い入れたのが、生後2ヵ月のアメリカンショートヘアの「雪」でした。
雪は初めて会ったときは「凄いやせているけど大丈夫かな?」という印象でした。
雪との楽しかった思い出はたくさんあります。
出会ったときは子猫のときですから、その当時は遊び盛りで、しぐさ、表情、行動など、何をしてても可愛くて構わずにはいられないくらい本当に可愛くてしかたがありませんでした。
私の家は3階建てでしたが、よく、3階の私の部屋の窓からお隣の屋根に飛び乗って日向ぼっこしたりしていました。
とてもやんちゃでみているこっちがヒヤヒヤしたものです。
でも、雪はいつも家を脱走してもすぐに家に帰ってきました。
そんな雪ですが、とても不思議だったのが、私が落ち込んでいるときに限って私の側に来ては、じーっと私の顔を見るんです。
普段はマイペースな雪なのに、私が落ち込んでいたり、悲しんでいるときには何も言わずにただ側にいて慰めてくれるのを感じて、「私の気持ちがわかっているのかな?」と不思議でした。
雪との思い出を振り返る
雪が亡くなって1ヵ月が経ちましたが、当時は目が腫れあがるくらい一晩中大泣きました。
今でも雪との思い出を振り返ったり、お墓参りに行くと自然と涙が出てきます。
ペットロスから立ち直る努力という訳ではありませんが、生活していく上で、何事にも依存しないようには注意しています。
仕事に対しても、友達関係にしてもです。
常に思い入れの度合いを分散させるようにしています。
もちろん私にとって大切なものは存在しますが、「これが私のすべて」というものを作ってしまうと、それを失ったときのショックに耐えることができない性分だということが自分でもわかっているからです。
私の場合は、ペットロスといわれるものほどひどくないかもしれません。
雪は18歳で老猫でしたし、亡くなる1ヵ月前くらいからかなり衰弱していて、自分の中ですでに覚悟ができていたように思えます。
雪が亡くなるとき「苦しかったかな」「痛くなかったかな」と常に気になりますが、今はたくさんの思い出をくれた雪に感謝しています。
雪は家族の一員でした。
今、雪は私の心の中にいると思っているので、いつも雪と一緒という感覚ですので、寂しくないと言うと嘘になりますが、思い出がたくさんあるので幸せです。
(続く)