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福島原発後、人影の消えた街に残された動物たちの姿

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「あのときロープを切って逃がしてやれば…」
 福島原発後、人影の消えた街に残された動物たちの姿

2021年3月8日(月) ディリー新潮

福島第一原発の事故後、原発から3キロ圏内に出された避難指示は、その後20キロ圏内まで拡大。
突如として無人となった街には、行き場を失った犬たちや牛舎で飼われていた牛たちが残された。
震災から3週間後、現地を訪れたカメラマンが目撃したものとは――。
(「週刊新潮」別冊「FOCUS」大災害緊急復刊より再掲)

 ***

◆路上に残された犬たち
町から全ての音が消えていた。
静まりかえった大通りに聞こえるのは、強く吹きつける風の音だけ。
片側1車線の道路のセンターライン上に、1匹のシベリアンハスキーが寝そべっていた。
そこに歩道から雑種が1匹、どこからともなくまた1匹。
いずれも首輪をつけている。
集まってきた3匹の犬たちは、「原子力明るい未来のエネルギー」と書かれたアーチを背に、何かを問いかけるように、こちらを見つめていた。


震災から3週間後の福島票双葉町のメインストリート。路上に残されたのは犬たち

震災から3週間後の福島票双葉町。
東電福島第一原発の地元の町である。
第一原発から、双葉町商店街の始点を示すこのアーチまで約4キロ。
道路の先には双葉駅がある。
しかし、このメインストリートには、人の姿も車の影もない。
震災当日、原発から3キロ圏内に出された避難指示は、翌12日には10キロ圏内に拡大。
さらに20キロに拡大され、双葉町の7千人の住民は町を離れた。
路上に残されたのは犬たちだけ。
餌を投げると、群がって争うわけでもなく、静かにひと口ずつ食べていた。
野犬化の兆しは見えない。
どこかで食べ物を得ているのか、あるいはそれほど衰弱しているのか。

◆避難指示圏に入っていく人も
福島県の内陸部から双葉町に向かうルートは、富岡街道、都路街道と呼ばれる2本の国道に分かれる。
いずれも自主避難区域の境界である30キロ地点に、警察の検問所が設けられている。
「危険10キロ先 立入制限中 福島県警」と書かれた立て看板と、数人の警察官。
行き先と目的を聞かれるが、取材でそれなりの装備をして来ている旨を告げると、20キロ圏内には入れないと言われただけで、制止されることはなかった。
「どうしても必要な薬を取りに戻ると言われれば、こっちは何も言えないよ」とも聞いた。
双葉町の北に位置する浪江町に入り、避難指示圏の20キロポイントが近づく。
しかし「立入禁止」の看板が立つのみ。
警官の姿は見えない。
看板も道路の片側を塞ぐだけで、実質的に通行は自由。
地元の住民なのか、2台の車が手慣れた運転で、戸惑う様子もなく20キロ圏内に進入して行った。
荷物を取りに来たのか、家や家畜の様子を見に来たのか。
ほかにも数台の車とすれ違う。
車中は誰もがマスク姿で、せきたてられるかのようにスピードを上げて走り去った。



◆ロープに繋がれたまま残された牛たち
取り残されたのは犬だけではない。
第一原発から約10キロほど入った、民家の敷地内に牛舎を見つけた。
声をかけるが応答はない。
牛舎に足を踏み入れると、鼻をつく異臭がする。
暗がりに自が慣れると、十数頭の牛が、あるいは蹲り、あるいは立ち尽くしていた。
いずれもほとんど動かない。
よく見ると、手前に寝そべった牛には、目玉がなかった。
鳥か何かに突かれたのだろう。
寝ているように見えた牛の6頭が死んでいた。
異臭の正体は、牛の死臭だったのだ。
民家の屋根瓦は庭先に落ちて割れ、網戸は外れていた。
住民は急いで避難したのだろう。
牛舎の外の庭にまで、牛の糞が散らばっていた。
中には踏まれたように潰れたものもあった。
牛舎内部の柱には、洗面器のような容器が取り付けられている。
水飲み用だったのだろうが、いまはすっかり空っぽで干からびていた。
牛舎の入口付近には干草も散らばっているが、糞まみれ。
死んだ6頭は、飢えで死んだのか、渇きで死んだのか。
気がつくと、ゆっくり口を動かして、糞を食べている牛がいた。
牛たちは、2本のロープで柱と柱の間に結わえられていたらしい。
中には1本のロープのみで、首を支えられるようにして死んでいる牛もいた。
ちぎれたロープだけが柱にぶら下がった、空いた柵もあった。
飢えと渇きから逃れようと必死にもがき、最後の力でロープを引きちぎって逃げ出した牛もいたのだろう。
突然、1頭の牛が、シャッターを切るカメラマンの右腕を舐めた。
驚いて振り向くと、牛と目が合った。
くりくりっとした、人懐っこい目だった。
「あとになって考えると、あのときロープを切って、逃がしてやればよかったのかもしれない。餌も水も尽きて、どんなに空腹で喉が渇いていたことか。せめて自由にしてやっていたら……。あのときは撮影に精一杯で、気が回らなかったのが悔やまれます」(撮影したカメラマン)

◆無人の街で目撃したものは
浪江町の中心部には、震災の痕跡がそのまま残されていた。
切れた電線が斜めに倒れかかった電柱から垂れ下がり、道路は至るところに陥没や亀裂。
崩れた建物が道路を塞いでいるかと思えば、なぜか信号だけが規則正しく点滅していた。
コンビニの棚には3週間前の弁当が並び、ペットボトルや缶飲料が横倒しのまま、ケースにあふれている。
薬屋の軒先の商品棚も倒れて、品物が散乱していた。
シャッターを降ろす間もなく無人と化した商店街が、避難の慌しさを窺わせる。
商店街にも住宅地にも、誰ひとり歩いている人の姿はなかった。
路上に残されたのは、この町でも犬だけ。
犬小屋のある瀟洒な家屋の前の路上に、首輪をつけた犬が「伏せ」の姿勢を取っていた。
かたわらの一組のサンダルには、飼い主の匂いが残っているのだろうか。
よく躾けられた犬なのか、じっと動かずに、主を待っているようだった。
浪江町の臨海部、請戸地区。
漁港のあったこの地区では、逆さまになった建物にのしかかるように、漁船が横倒しになっていた。
ありえない光景が、あの日以降、不思議ではない光景になってしまった。
遠くそびえる鉄塔は、第一原発の排気筒である。
ここでも聞こえるのは、西から吹く風の音だけだった。
帰路につこうとしたとき、双葉町の畑に囲まれた集落で、また1匹の白い大型犬を見かけた。
車を止めると、犬は尻尾を振って、まっしぐらに駆けてきた。
車の周囲を走り回り、離れようとしない。
車を出そうにも、危なくて動かせないほど。
食べ物をやろうとしたが、与えられるものが何も残っていなかった。
隙を見て車を動かすと、犬は無邪気に追いかけて来る。
スピードを上げても、全速力で数百メートル追いかけてきた。
ミラーに映る犬の姿が小さくなっていく。
飼い主がこの町に帰って来られるのは、いつの日だろうか。

2021年3月8日 掲載
新潮社

【写真20枚】人影の消えた街に“残された動物たちの姿” 【東日本大震災・あの日から10年】


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