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飯館村 取り残された犬猫たち(フォトグラファー 上村雄高)

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福島原発事故の被災地 取り残され、人を待ちわびる犬猫たち

2018年3月9日(金) sippo(朝日新聞)


飯舘村で出会った「マメ」。いつも足元まで一直線に歩み寄ってきた(2012年6月3日撮影)

2011年3月に起きた福島第一原子力発電所の事故によって、全村民6000人ほどが避難を余儀なくされた福島県相馬郡飯舘村。
仮設住宅への犬猫の同伴避難が認められなかったため、飼い主の多くが犬猫を自宅に残していきました。
無人と化した村に、少なくとも約200匹の犬と約400匹の猫が取り残され、飼い主の帰宅を待ちわびていました。
私はこれまで90回ほど飯舘村を訪れ、犬猫の撮影をしてきました。
事故で犬猫たちの身に起こったこと、そして現状を2回に分けてお伝えします。
(フォトグラファー 上村雄高)


山の上の犬たち。人の訪問に鳴き声が響き渡る(2012年2月19日撮影)

私が原発被災地に取り残された犬猫の存在を知ったのは、2011年秋。
2012年2月19日から、本格的に飯舘村の犬猫を撮影し始めました。
人の姿に歓喜してフードを勢いよく頬張る犬猫たち、鎖につながれた犬たち・・・。
その日、目の当たりにした光景が脳裏に焼き付き、私の足は自然と飯舘村へ向くようになりました。
犬猫たちは、一時帰宅した飼い主とボランティアが運ぶペットフードで、命をつないでいました。
ただ、犬猫たちが飼い主や人と過ごせる時間はわずかでした。
飼い主たちは突然生業を失い、避難先での新しい生活を築いていかねばなりません。
村へ通うのは、容易ではなかったはずです。


「マメ、またね」。帰り際は、いつも後ろ髪を引かれる思い(2012年5月8日撮影)

茶トラ猫の「マメ」が、人と過ごせたのは、4日に1度一時帰宅する飼い主との数時間と、週に1~2度訪れるボランティアとのごくわずかな時間のみ。
人の温もりや、朝晩のごはん、それまで当たり前だった暮らしをマメは失っていました。
取材で私が滞在している間、私のそばを離れないマメ。
「まだ帰らないよ」。
そんな言葉をかけながら、2時間、3時間、彼と一緒に過ごすのが常となっていきました。


一時帰宅した飼い主のそばを離れないマメ(2012年10月22日撮影)

2012年当時、飼い主の男性は83歳でした。
「マメに会うのが生きがい」と言って、スクーターで1時間以上かけて避難先から飯舘村へ。
しかし、時間の経過とともに、帰宅する頻度が減っていきました。
生業だった農業ができなくなり、男性は体力と気力の両方を奪われていったように見えました。
マメが怪我したのをきっかけに「危険のある場所にマメを戻すのはかわいそう」と考え、男性はマメを保護団体に託しました。
現在、マメは東京で新しい家族と穏やかに暮らしています。
一方、飼い主の男性は避難先で病に倒れ、帰村がかなわぬままです。


半径3メートル弱がつながれた「やま」の世界(2012年3月10日撮影)

つながれた犬たちがお腹を満たすには、人の力が必要です。
朝晩の食事という当たり前のことが消えた土地では、多量の置き餌が犬たちの主食となりました。
過食と運動不足による肥満、犬たちの健康はむしばまれていきました。
また、犬たちの怪我や病気がすぐに発見されることはまれで、発見の遅れにより、致命傷となったケースもあります。
人目のない土地で、犬たちの健康管理は容易ではありません。


「小春」は何かを訴えるように懸命に鳴きながらこちらへ(2012年5月26日撮影)

もしも時計を巻き戻せるなら、その日まで戻って保護したいと思う猫がいます。
「小春」という猫。
何かを訴えるように歩み寄ってきたところを撮影しました。
このおよそ1年半後、小春は野生動物に襲われ、この世を去りました。
カラス、タヌキ、キツネ、ハクビシン、アライグマ、アナグマ、イノシシ、サル。
人の営みが消えた土地では、野生動物が行動範囲を広げています。
犬猫の命をつなぐための置き餌は、同時に野生動物をも引き寄せてしまいます。


猫の餌台(2014年6月10日撮影)

「より安全に確実に猫たちの口にフードを届けたい」。
ボランティアたちによって設置された猫の餌台は、最も多い時で、村内40カ所ほどに達しました。
ただ、野生動物たちも食欲は旺盛です。
一晩で2~3キロのフードが空になることも珍しくありません。
高さや入口の形状などで野生動物の侵入を防ごうと餌台の改良が重ねられました。


飯舘村で出会った子猫たち。今は私の家で暮らしています(2012年6月30日撮影)

2015年頃まで、春と秋には、子犬と子猫が生まれました。
とりわけ目立ったのが子猫です。
飯舘村では犬猫の不妊去勢の習慣がなく、猫の外飼いが珍しくなかったためです。
「保護しても保護しても、終わりが見えない」。
保護施設はどこもキャパシティいっぱいの犬猫を抱えていました。
幸運な一部の猫は保護されて新しい家族を得たものの、多くの猫が不妊去勢手術を施され、再び人のいない土地に戻されました。


小柄な3匹は2013年生まれ。不妊手術後に生家に戻され仲間と寄り添って生きる(2014年6月24日撮影)

原発事故の前、犬猫は人々に寄り添って生きてきました。
人の営みが失われた土地で、犬猫が自力で十分な食べ物を得ることはできません。
犬猫を置いていく、不妊去勢を施した後に猫を元の場所に戻す。
そして、フードを絶やさぬように人が犬猫の元へ通い続けるのは、やむを得ない事情があっての苦肉の策です。
人にも犬猫にも、大きな負担が何年にもわたってのしかかっています。
私たちの国には依然50基を超える原子力発電所があります。
自然災害はいつどこで起こるかわかりません。
国内では犬猫合わせて1844万6000頭が飼育されています(一般社団法人 ペットフード協会調べ)。
同じ被害を繰り返さないために、私たちは原発被災地の経験から学ぶ必要があります。
野良猫も含む不妊去勢の徹底は、有事に被害の広がりを抑える効果があります。
自分の住んでいる自治体で、犬猫の同伴避難が可能であるのか、もしできなければ、自分はどうのようにして愛犬や愛猫を守るのか、ぜひ考えてみてください。

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原発事故7年 山積みの廃棄物、進まぬ帰還 取材に大喜びする犬猫たち 

2018年3月10日(土) sippo(朝日新聞)


滞在中そばを離れない「ミケ」。人恋しさを募らせているのが伝わってくる(2017年5月4日撮影)

福島第一原子力発電所の事故で被災した福島県飯舘村は、一部を除き、2017年3月末に避難指示が解除されました。
しかし、今年3月1日現在の帰還者は260世帯の537人、事故前の人口の1割にも届きません。
道の駅やコンビニエンスストアがオープンし、ガソリンスタンドが再開するなど、県道沿いはにぎわいを取り戻し始めています。
しかし、通りを一本入れば、主を失ったままの家々がひっそりと残り、庭では犬猫が人の訪問を心待ちにしています。
(フォトグラファー・上村雄高)


農家の大切な土が放射性廃棄物と化す(2014年8月17日撮影)

飯舘村は福島第一原発の北西に位置します。
2014年から2015年にかけて、放射性物質を取り除く工事(除染)が盛んに行われました。
除染により放射線量は大きく減りました。
しかし、除染されたのは家屋、農地、道路、家屋周辺の森林のみ。
村の約75%を占める森林は、除染されないまま、家屋のすぐ裏にまで迫っています。
除染により犬猫の放射線被曝も大幅に軽減されました。
しかし、人が住んではいけない場所に、犬猫が置かれ続けたのは大きな疑問です。
もし当初から、長期間自宅には戻れないという判断があれば、飼い主たちの行動も違っていた可能性があります。


背後の建物は数か月後に解体。寝床を失った「シマジロー」は保護対象に(2017年3月11日撮影)

放置され老朽化した建物が次々に姿を消した2016年から2017年。
多くの猫が雨風をしのぐ寝床と餌場を失う危機に直面しました。
村内に40カ所あった猫の餌場は、15カ所ほどにまで減少。
家屋解体の最盛期には、100匹を超える猫たちがボランティアに保護されました。
このため、すでに飽和状態にあった猫の保護施設は、キャパシティをはるかに超える猫を受け入れざるを得なくなりました。


亡くなる約1か月前、私が最後に会った日の「ライフ」は穏やかに微笑んでいた(2017年8月31日撮影)

7年という月日は、犬猫の寿命の半分ほどに相当します。
飯舘村で寿命を迎える犬猫も少なくありません。
ライフもその1匹です。
最後の半年ほど、帰還した飼い主と過ごせたのが、ライフにとって、せめてもの救いだったでしょう。
来る日も来る日も、飼い主やボランティアの訪問を待ち続けた犬猫たち。
彼らは何を思っていたのか・・・。


「マリ」と散歩に出発して数分。放射性廃棄物の山がそびえ立つ(2018年2月22日撮影)

飯舘村の大部分で避難指示が解除されたものの、人の営みはほとんど戻ってきていません。
いまだ放射性廃棄物が入れられたフレコンバッグ(袋)が、そこかしこに山積みされ、その数は230万個を超えています。
中には家屋から20~30メートルしか離れていない保管場所もあり、村民帰還の足かせとなっています。
放射性廃棄物は、福島第一原発近くの中間貯蔵施設に移動されますが、施設はまだ建設途上。
今、飯舘村で生きている犬猫の多くが寿命を迎える前に、村が元の姿を取り戻すとは考えにくい状況です。


いつも笑顔で迎えてくれる「チャコ」(2018年3月2日撮影)

犬の「チャコ」は、息子の「マリ」「シロ」と暮らしています。
人の姿を見つけると二本足で立ちあがって小躍りするように喜び、散歩に連れ出せばゴムマリのように弾みます。
チャコの飼い主は80代の老夫婦。
年齢を重ね、車の運転に不安を感じるようになったため、自宅へ戻る頻度が減っています。
現在の避難先は、飯舘村に比べて周辺に人家が多く「鳴き声がうるさいのではないか」と思い、犬たちを連れて行けずにいます。
飼い主たちもそれぞれに事情を抱えています。
飼い主が「戻りたくても戻れない」状況が続くうちは、ボランティアによる犬猫の給餌サポートが依然必要とされています。


週に数回の飼い主やボランティアの訪問を心待ちにしている「ピッコロ」(2018年3月2日撮影)

当たり前の暮らしを失って7年。
それでも犬や猫たちは、人間に親愛の情を示し続けてくれています。
たまにしか顔を合わせない私にさえ、ピッコロは全身で喜びを表し、大歓迎してくれます。
ピッコロの笑顔や甘える姿を見ていると、飯舘村で生きる犬猫たちが、私たちの傍らで暮らす愛犬、愛猫と何ら変わらぬ存在だと感じます。
私たちの記憶が薄れるのは仕方のないことです。
しかし、くったくない笑顔を見せてくれる被災地の犬猫たちが、私たちと同じ時間に同じ空の下で生きていることを時折思い出してください。
彼らはかわいそうな犬猫ではなく、それぞれが個性を輝かせて生きる命です。
原発事故から7年が経った今、飯舘村でボランティアのサポートを必要とする犬猫は減ったものの、まだ犬が約50匹、猫が約100匹います。
そして、すでに保護された多くの犬猫が、新しい家族との出会いを求めています。
保護された犬猫が譲渡されれば、保護施設は新たに犬猫を収容できます。
犬猫の里親募集サイトは、家族を求める犬猫であふれかえっています。
保護犬猫の譲渡会も各地で頻繁に開催されています。
犬や猫を飼おうと思うなら、保護犬や保護猫にぜひ目を向けてください。

【写真特集】被災地で人を恋しがる猫や犬たち


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