息子の死を乗り越えて、夫婦が運営する「命をつなぐ」保護猫カフェ
2023年4月26日(木)
愛知県名古屋市に、夫婦が運営する、二階建てバスを改装した保護猫カフェがあります。
行き場のない猫を保護し、お世話をしながら人馴れさせて、カフェでデビュー。
お客さんと触れ合う中で、新しい里親を見つける活動をしています。
夫婦がカフェをオープンしたきっかけは10年前、息子を23歳という若さで突然失ったことでした。
(JAMMIN=山本めぐみ)
お話をお伺いした祖父江昌子さん(写真左)。隣は夫の吉修さん
愛知県名古屋市にある、二階建てバスを改装した保護猫カフェ「ひだまり号」。
カフェにいるのは、さまざまな事情や背景から、やってきた子猫たち。
「子猫を対象としているので、『赤ちゃん猫が庭に迷い込んできた』とか、餌やりさんから『親猫が子猫を5匹連れてきたけど、うちでは飼えないから里親を探してほしい』などとご連絡があります。
昨年春から年末にかけては、90~100匹を保護しました。
毎年このぐらいの数の猫を引き取っています」と話すのは、5年前に夫の吉修(よしのぶ)さん(57)とともにカフェをスタートした祖父江昌子(そぶえ・まさこ)さん(57)。
カフェの一階は受付とドリンクバー、手洗い場があり、二階に保護猫たちが自由に過ごすスペースがあります。
料金は時間制(「通常コース」60分で大人一人税込1320円、「お試しコース」30分で税込880円)。
1階で手を洗い、フリードリンクなので好きな飲み物を持って2階へ上がり、猫と触れ合うことができます。
さらに自宅の3階をシェルターとして使っており、カフェデビュー前の赤ちゃん猫や病気で治療中の猫たちが生活しています。
「猫エイズや猫白血病、猫伝染性腹膜炎など病気ごとに部屋を分けて、ケージではなく部屋で自由に過ごせるようにしています」と昌子さん。
現在、バスに19匹、シェルターには24匹の猫がいます。
◆猫と里親さんのリアルな出会いの場に
生後3週間の時に愛護センターから譲渡を受けた「ふく」
「生後6ヶ月の時にFIP(猫伝染性腹膜炎)になってしまいましたが、薬を個人輸入してひだまりで3ヶ月治療し、3ヶ月の経過観察を経て寛解。
今ではバスで1、2を争うほどの人気者です」
「小さい時から人が関わっているので、猫も人馴れしています」と昌子さん。
「それぞれの性格もありますが、1ヶ月もするとほとんどの子が人が好きになって、人が触れるともうゴロゴロデレデレです。そんな猫たちなので、カフェでも猫の方からお客さんに寄っていき、膝に乗ってゴロゴロと喉を鳴らしたり、前足をふみふみしたりしています」
「お店自体が、毎日譲渡会のようなかたち。足を運んでもらって、実際に触れ合ってもらって、何かビビビとくるものがあれば、家族に迎え入れてほしい。リアルな触れ合いを大事にしています」
「ひだまり号」の中。右の写真がバス1階の受付。左の写真がバス2階の猫との触れ合いスペース
「譲渡にあたっての条件がありますが、大切にしてくださることはもちろん前提で、一人暮らしや高齢であるということだけを理由にお断りはしません。その代わり、事故が起きたり病気になったり、何かあって猫の面倒が見られなくなった時に、代わりに面倒を見ることができる方を保証人として必ずつけていただくようにしています」
トライアルとして1週間ほどを設け、そこで様子を見た上で正式な譲渡となりますが、猫に対して愛情が感じられなかったり、軽くとらえているような場合には、譲渡を断ることもあるといいます。
「トライアルの間は、写真や動画で様子を共有していただいています。トライアルが終わって正式譲渡してからも、里親さんは皆さん、うちの子自慢じゃないですが、猫たちの姿をたくさん送ってくださいます。嬉しいですね」
◆息子の突然の死、絶望の中で預かった1匹の子猫
ひだまり号外観
「バスに乗せた思いは家族。生前、息子は『Sunnyspot(サニースポット)』というアーティスト名で音楽活動をしており、そこから『ひだまり』の名前をとりました」。
バスの外には愛猫「ましろ」を、クリエイターをしている娘さんが描いた。
ひだまり号をはじめたきっかけは、2014年に息子の修平(しゅうへい)さんを、23歳という若さで難しかったことでした。
「あまりに突然で、受け入れることができなかった」と振り返る昌子さん。
「修平は、突然倒れて亡くなりました。泣くことしかできず、『私が息子を殺したんだ』と自分を責め続け、心の病気なりました。3年半ほど引きこもり、食事も喉を通らず、体重は40キロを切りました。自分は生きる価値がない、生きる意味がないと自分を苦しめることばかり考えていて、何度も自殺を図りました」
そんな時、飼っていたペットのかかりつけの動物病院の先生から、へその緒がついた猫の赤ちゃんの飼育を頼まれた昌子さん。
「当時、自分の身の回りのことさえできませんでしたが、生まれたてのこの子はミルクをあげなければ死んでしまう。『死』に対してすごく敏感になっていたのもあって、自分はご飯を食べられなくても、とにかくこの子のためにと2時間おきにミルクをあげて、自分のことや他は何もできなくても、この子のお世話だけできたんです」
昌子さんと生前の修平さん
「修平は、自分のことよりも相手の気持ちを優先する子でした。何事にも一生懸命で、真面目すぎるくらいでした。私にとってかけがえのない愛息子でした」
「息子が亡くなってから、自分が生きている意味がずっとわかりませんでしたが、この子を育てながら、猫の命への責任感とお世話をすることの意義に『生きる価値があるのかもしれない』と、生きがいのようなものを感じることができたんです」
「幸い里親さんが見つかり、その後は動物愛護センターのミルクボランティアをしました。猫と触れ合う中で、自分も元気でいなければならない、動けなければならないと、私自身も少しずつ食事がとれるようにもなり、前を向けるようになっていきました」
「ミルクボランティアは、生後2ヶ月ほどで愛護センターに猫をお返しします。そこで里親探しをするのですが、どんな里親さんに引き取られたのか、その後どう過ごしているのかは、私にはわかりません。それが寂しく感じました。お世話をした子たちの元気な成長ぶりが見たい。そう思って、ひだまり号を立ち上げたんです」
カフェのための建屋は高すぎると諦めかけていたところ、ふと「2階建てバスだったら家の駐車場にも置けるかもしれない」と調べてみると、サイズはぴったり。
「これだ!」と中古バスを購入し、改装してカフェとしてオープンしました。
◆「猫を飼いたい」、生前の修平さんの言葉に、背中を押されて
日々、猫たちをお世話する昌子さん、写真は子猫にシリンジを使ってミルクを飲ませているところ
「みんなミルクが欲しくて待てず、よじのぼってきます」
ひだまり号のシェルターとして使っている自宅の3階は、もとは修平さんの部屋があった場所。
昌子さんは修平さんが亡くなった後、猫のために使うまで、3階に上がることができなかったといいます。
「修平が部屋で倒れているところを私が発見したのですが、3階に行こうとするとその時の記憶がフラッシュバックして吐き気やめまいがして、長く行くことができませんでした」
「でも、息子の荷物を片付けて、猫たちのキャットタワーやケージを置いてから、3階に上がらないと猫のお世話ができないので、上がれるようになりました。命の重さは、それは人間であれ動物であれ、変わりません。殺処分をなくしたいし、病気などで苦しんでいたら、助けられる命は全力で助けたいと思っています」
自宅3階のシェルターの1室
「猫たちは遊んだりのんびりしたりと、自由に過ごしています」
「実は今日(取材日)は、息子の修平の、生きていたら33歳の誕生日なんです。あの子はきっと、今のひだまり号を天国から楽しんでいると思います。『かわいい、かわいい』と言っていると思いますね」
「実は修平は亡くなる前、『自分の部屋で猫を飼いたい』と言っていました。亡くなってから、娘が『お兄ちゃん、あんなに猫を飼いたがっていたから飼ってあげてよ』と言われて、今はひだまり号の猫たちのほか、家猫として2匹、犬2匹と暮らしています」
◆保護猫のフード代や猫砂、医療費…。出費が課題
猫のお世話をする昌子さん
「育児放棄した母猫から保護した生後3日目の子猫です。早産だったこともあり体重は60gしかありませんでした。自分でおっぱいを吸う力も無く、カテーテルを胃に通し直接ミルクをあげています」
4年前のオープン時は集客もあったものの、「カフェの利益と譲渡の時に里親さんからいただくお金で、なんとか猫たちのお世話ができるかなという感じでした」と昌子さん。
しかしコロナになってからは、収入が大きく減ったといいます。
「とはいえお世話している猫たちの数は変わらないので、経済的には正直厳しく、毎月赤字の状態で、貯金を切り崩しながらなんとか回しています。とはいえ、ひだまり号のことを気にかけ、大切に思ってくださる方たちの気持ちに応えられるように、これからも真摯に、愚直に猫と向き合い、心血を注いでいきたいと思っています」
◆行き場のない子猫と触れ合える保護猫カフェ
ゴロンと横になり「撫でて〜」とアピールする子猫
「JAMMIN(ジャミン)」は京都発・チャリティー専門ファッションブランド。
「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週さまざまな社会課題に取り組む団体と1週間限定でコラボしたデザインアイテムを販売、売り上げの一部(Tシャツ1枚につき700円)をコラボ団体へと寄付しています。
創業からコラボした団体の数は400超、チャリティー総額は8,000万円を突破しました。