愛猫失い1年 養老先生の思いとは
死を受け入れる過程は言葉にできない
2022年1月14日(金) 東京新聞
解剖学者の養老孟司さん(84)=写真=は約1年前、17年共に暮らした猫「まる」の死を経験した。
テレビ番組で取り上げられたり、写真集になったりと人気者だったまる。
生と死の境や、死の受け入れ方についても説いてきた養老さんに、まると過ごした日々や、別れを通して感じていることを聞いた。
(小林由比)
「よく寝ていた日当たりのいい場所につい目が行って。『あれ、いない。あ、そうだった』という感じ」。
まるが2020年12月に死んでから約1年。
養老さんは今も、そんな感覚を覚えるという。
養老孟司さんとまる ©平井玲子
03年9月、養老さんの娘に連れられ、まるはやってきた。
「付かず離れず、適当な距離で付き合ってきた」と振り返る。
「飼っているという気はなくて、楽に生きてもらえるよう環境を整えるだけだった。動物に教え込もうとするのは好きじゃない。その点、猫は気楽でいい」
家の中でも、好きな所で気ままに過ごし、配慮も忖度(そんたく)もないまる。
そんな姿を観察するのが養老さんには、安心できる時間だった。
「僕にも浮世の義理ってやつがあるけれど、ああ、これでもいいんだと楽な気持ちになれた」
そんなかけがえのない存在を失ったことは、つらい出来事だった。
飼育する動物との死別で深い悲しみを経験する「ペットロス」という言葉がよく使われるようになったが、今の状態を「そういうことになるのかもしれない」と分析。
ただ「感覚に関すること、感覚に伴う質感みたいなものは、言葉では表せない」。
ものごとを理屈にし、言葉を紡いできたが、まるとの付き合いや、その死を受け入れていく過程は、言葉にできない経験だという。
一方、「まるの死は、まる自身には関係がない」と言う。
「死というのは二人称。人間は社会性動物だから、親しい人の死があるけれど、動物にはそれはない。まして自分の死はなんの関係もない。これは人間も一緒」と養老さん。
「まるのことは、こっちが勝手に二人称扱いしている」
子どもが手を離れた後など、中高年になってペットを飼う人も多い。
「人はやっぱり世話をしたいもの。今は核家族で、孫の面倒を見ることもないとなると、猫あたりが一番無難」。
ペットロスを恐れ、飼育をためらう人には「先のことを考えすぎて、今の気持ちを犠牲にする必要はない」と助言する。
自然から遠ざかり、「感覚」を軽んじる現代社会に警鐘を鳴らし、都市の人が田舎で暮らすことを提唱してきた。
新型コロナ禍が世界を覆ったこの2年、ますますその重要性を感じている。
「田舎に暮らせればいいが、生き物と暮らすことも、そんな感覚を取り戻すことに近い」
まるに「時々、しみじみ会いたいなあと思う」
養老さんは、今は新しい猫と暮らす気にはならないという。
「先日、瀬戸内の島で出合った猫がおなかをすかせていて、ビスケットをあげた。今はせいぜい、あの猫たち寒くなってきたからどうしてるかな、と気にするくらいかな」と笑った。
養老さんは昨年12月、まるとの日々や、その死に直面して考えたことを写真とともに伝える本を出版した。
養老先生と愛猫「まる」の一日
2017年7月26日 産経フォト
養老孟司さんの愛猫「まる」=神奈川県鎌倉市(伴龍二撮影)
「まるの性格? ひと言で言うと、『鈍い』だな」
そう言い放ちながら、目尻を下げて愛猫「まる」を見つめる養老孟司さん(79)は、ベストセラー「バカの壁」で知られる解剖学者。
まる自身も、「うちのまる~養老孟司先生と猫の営業部長」「まる文庫」などの写真集も出版されるほどのカリスマ猫だ。
奈良県で生まれたまるが、神奈川県鎌倉市の養老家に来たのは平成15年。
幼いころから身体も態度も“猫一倍”大きく、ゴロゴロしているだけなのにあっという間に養老家および養老研究所を牛耳り、「営業部長」の肩書も手に入れる。
子猫のころ、ベランダに来たリスを捕ろうとして閉めてあったガラス戸にぶつかったり、家人が留守のとき野良猫に餌を食べられながらも、誰かが帰宅して野良猫が逃げ出すまで傍観、逃げた背中を見て「フーッ」とうなったりというエピソードにも“大物感”が漂う。
「まるを見ていると、生きるってことも『だから、それがどうした』。人のことも『どうせ人間のやること。たかがしれてる』と思えてくる」と養老さん。
そんなまるが唯一、能動的に動くのが、おなかがすいたときだとか。
「明け方に腹がすくと私を起こしにくる。ひと鳴きして、ベッドに乗って、私の顔をなめて起こすんだ」
また、養老さんが仕事や旅行で数日家を空け、帰宅すると足元にすりよって「わにゃ、わにゃ」。
「大好物のマヨネーズをくれってさ。身体に悪いから家人はあまりやらないが、私だったら必ず一口くれると分かってる。まるにとって私は、関心をひくと好物をくれる『餌出し器』なんだろうな」
まるは、食卓の食べ物も食べないし、噛んだり、ひっかいたりもしない。
「怒るところは何もないんだけど、原稿とか書いていると、どこからかアイツのいびきが聞こえてくることがある。それを聞くと、仕事をやる気がなくなるんだ。猫は仕事の邪魔だね」
そんな養老さんのため息もどこ吹く風。
まるはきょうも一日、特技の“どすこい座り”で思索にふける。
(文 : 服部素子)
「まる ありがとう」
著者:養老 孟司
写真:平井 玲子
発行:西日本出版社
発売日:2021年12月2日
価格: 1,200円+税
176ページ
◆紹介
2020年12月21日、まるが天国へ旅立ちました。
養老さんは愛猫まると18年の時間を過ごし、その様子はNHKの「まいにち、養老先生、ときどき まる」でおなじみとなりました。
まるを自分自身の「ものさし」と語ってきた養老さん。
まると過ごした日々、まるの死を通じて養老さんは、意識中心で頭でっかちになりがちな人間社会の危険性や、生き物にとって大切な感覚の世界について改めて思索を広げ、その視点は独自の「自足」論として本書で展開されます。
まるとの出会いと日常、生きていく術、死、ペットロス、生き物らしさなど、かけがえのない存在だったまるの死に直面して考えたことを、養老さんが語りつくしました。
まるの写真114枚掲載。
まるに寄り添い、写真を撮ってインスタグラムやブログにアップしてきた、養老さんの秘書平井さんのエッセイも掲載しています。
「ものごとを理屈にすることに長年励んできた。八十歳を十分に超えてみると、バカなことをしたものだと感じている。理屈で説明しようがするまいが、ものごとが変わるわけではない。その意味では、理屈にすることは一種の虐待であって、何に対する虐待かというなら、「生きること」に対する虐待であろう。まるは理屈なんか言わず、素直に生きて、素直に死んだ。いまでも時々しみじみ会いたいなあと思う。また別な猫を飼ったら、といわれることがあるが、それでは話が違うのである。まさに一期一会、かけがえがないとは、このことであろう」
(本書 まえがきより)
「まるがいなくなって、ほぼ一年になる。まだついまるを探す癖は抜けない。まるが好んで寝転がっていた縁側に目が行く。ポンと頭を叩いて、「バカ」というと、少し迷惑そうな顔で薄目をあける。それができなくなったのが残念である。ときどき骨壺を叩いてみるが、骨壺の置き場所が、まるがふだんいたところと違うので、なんだか勝手が悪い。
「安らかに眠れ」というのが欧米の墓碑銘の紋切り型らしいが、いつも寝てばかりいたまるの墓碑銘としては、屋上屋の感がある。カントの著作『永遠平和のためにZum Ewigen Frieden 』はカントがどこかの墓碑銘から採ってきたといわれるが、このほうがいいかもしれないと感じる。みんながまる状態になれば、まさに世界は平和であろう」
(本書あとがきより)
◆目次
まえがき
・図らずも人気者に
・ときどきまる
・最期
・死に場所
・まるが来た日
【コラム①】秘書・玲子の今日もまぁくん日和 日常
・無口な猫
・ペットロス
・人命は地球より重いか
・まるが死んでから分かったこと
・まるはものさし
・感覚が優先する社会
・日本人は「実感信仰」
【コラム②】秘書・玲子の今日もまぁくん日和 営業部長
・まるの生き方
・ブータンの幸福
・自足する者の強み
・死んだ動物のすむ星
【コラム③】秘書・玲子の今日もまぁくん日和 男らしさ
・四門出遊
・大切なのは生き物らしさ
・多様性の否定
【コラム④】秘書・玲子の今日もまぁくん日和 二度と戻らない日々
・安藤忠雄さんからの手紙
・散歩
・虫塚
・こだわらない心
・特別な猫
・あとがき
・参考文献
著者プロフィール
養老 孟司 (ヨウロウ タケシ) (著)
1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。幼少時代から親しむ昆虫採集と解剖学者としての視点から、自然環境から文明批評まで幅広く論じる。東大医学部教授時代に発表した『ヒトの見方-形態学の目から』(筑摩書房)で89年、サントリー学芸賞。2003年刊行の『バカの壁』(新潮新書)は450万部を超える大ベストセラーとなった。
平井 玲子 (ヒライ レイコ) (写真)
2005年5月、養老孟司の秘書として有限会社養老研究所に入社。10年3月、インターネットで「そこまるブログ」をスタートさせ、まるの写真を投稿し始める。19年11月にはinstagramにて「まるすたグラム」のアカウントを開設。まるのフォトブック『そこのまる』(武田ランダムハウスジャパン)、『うちのまる』(ソニー・マガジンズ)やDVD「どスコい座り猫、まる」の制作にも携わる。