福山雅治、2匹の保護猫と暮らして3年。
猫たちから学ぶこととは?
2021年4月13日(火) ジグノシステムジャパン株式会社
シンガーソングライターで俳優の福山雅治がパーソナリティをつとめるTOKYO FMの番組「福のラジオ」。
4月10日(土)は、先週の放送で福山さんが初めて明かした、“2匹の保護猫と暮らしている”という話に対して、リスナーから大きな反響をいただきました。
現在、福山さんがクリエイティブ・プロデューサーとして関わっている「長崎の変」プロジェクト。
長崎に興味・関心を持ってもらい、関係人口の増加を目的にしながら、長崎の新しい変化やチャレンジを応援するプロジェクトです。
このなかのスペシャルムービーでは、福山さんをはじめ長崎出身の著名人7名の皆さんが長崎の保護猫・地域猫に扮して「にゃんとかせんば!」と長崎の変化を訴えます。
このプロジェクトの話の流れから、福山さんが「実は……」と2匹の保護猫と暮らしていることが明かされたのです。
「今回初めてメールをします」というリスナーのみなさんからも多くのメッセージをいただき、保護猫への関心の高さを実感することができました。
◆福山さんは2匹の保護猫と、どのようにして出会ったのでしょうか?
「オレちゃんとトラちゃんという2匹の猫がいます。
両方ともオスです。
オレちゃんは、白と茶色の毛でカフェ・オ・レみたいな色だからオレちゃん。
だから正式にはオ・レちゃん(笑)。
トラちゃんはトラ柄です。
所有しているギター、1959年製のレスポール・スタンダードのトラ目(トラ杢目)にそっくりで。
心のなかでは小さく『レスポール』と呼んでます(笑)。
最初に出会ったのはオレちゃん。
ある日、知人から1匹の子猫を拾ったという連絡をもらったんです。
僕が保護猫をあずかるショップを知っていたので、そのショップで保護してもらえないかと相談を受けました。
オレちゃんは生まれながら右腕がない隻腕の子猫で、側溝に放置されていたところを拾われました。
片腕の子猫……もしかしたら、なかなか引き取り手がないかも……という、オレちゃんには申し訳ないのですが、最初は僕の勝手な同情心から始まった出会いでした。
でも、その段階で、この子に与えられた生命、一生のお手伝いができれば……という気持ちでいました。
猫と暮らした経験がある方ならわかるかと思うのですが、1人っ子だと、どうしてもわがままになるというか(笑)。
もちろん、そうじゃない猫ちゃんもいるんですけど、複数で暮らすことで社会性を身につける場合が多いと聞きました。
そこで、先ほどのショップから引き取らせてもらったのがトラちゃんでした。
トラちゃんは誰にでもよく懐くし、抱っこされるのも大好きな猫です。
かたやオレちゃんは、抱っこされるのは嫌いだし、どちらかと言うとオレ様な性格(笑)。
猫によって、性格がぜんぜん違うんだなということを改めて実感しています。
僕の楽曲『いってらっしゃい』のイントロや間奏に入っている猫の鳴き声は、実はオレちゃんの声を収録したものです。
彼の小さい頃の声なんです。
CDのクレジットには芸名で記載されていますが(笑)」
2匹の猫がやって来て、3年くらいになるという福山さん。
これまで、そのことを公にしなかったのには理由がありました。
保護動物に対して、まだまだ自身が勉強中だから、ということでした。
「動物愛護と人間の共生というのは、人間側が、さまざまな想像力を働かせながら考えていかなければいけないテーマではあるのですが、日本は法整備など含めてまだまだ不十分な面があります。
どの立場の人にとっても正解を示すのは、なかなか難しいのが現状なのかなと。
でも、殺処分ゼロを目指していきましょう、というのは、現在の日本では当然の方向性だと思います。
そのために活動をされているNPO団体も多くありますし、個人や地域でボランティアとして活動されている方もたくさんいらっしゃる。
数字だけではない殺処分ゼロ、そういう取り組みをされている方々を少しでも応援できたらいいなと思っています。
そんな折、『長崎の変』のクリエイティブで長崎の地域猫をキャスティングさせていただくことになり、僕自身が共に暮らしている猫のお話をさせていただきました。」
福山さんが、猫に限らず動物保護に対して特別な関心を抱くきっかけになったのは、2つの出来事が大きいと言います。
「今から40年以上前、小学校の頃に長崎の実家で『小鉄』と命名した猫を飼っていたんです。
僕が拾って来たんですけど、当時の猫の飼い方って、今ほどきちんとしていませんでした……。
それは、当時の僕の動物に対する知識のなさのせいです。
人間と同じご飯をあげるし、好きなときに外に出ていって、好きなときに帰って来る、というような、ほぼ野良猫と変わらない共生の仕方でした。
小鉄には、もう少しちゃんとした環境を提供してあげることができたんじゃないか……っていう後悔が、ずっとあったんです。
それともう1つは、NHKスペシャル『ホットスポット 最後の楽園』で世界中を回らせていただいたことの影響はとても大きいです。
人間と動物、人間と自然との関わり方で、その国の成熟度が推し量れるというか。
生き物たちと人間の関係性のなかに、社会の寛容さや人々の心の豊かさも含まれるのだと思います。
なので、僕も日々オレちゃんとトラちゃんからいろんなことを教えてもらっています。」
そして最後にこう呼びかけました。
「数字だけではない保護動物の殺処分ゼロを目指して、少しずつ、でもちょっとだけ急ぎながら進んで行ければ。」
微力ではあっても、無力ではない――。
それは、福山さんが総合プロデューサーとして参加する「長崎クスノキプロジェクト」を通じて発信するメッセージと共通するものです。
「長崎クスノキプロジェクト」とは、原子爆弾が1945年8月9日に長崎に投下された当時の痕跡を抱えたまま、今も生き続けている「被爆樹木」を平和発信に活用するプロジェクトです。
そんな長崎の「被爆樹木」の保全・保護をおこない、存在を広く認知していただくことで、戦争の記憶、被爆の実相を伝え、「命の逞しさ、平和への願い」を次世代へとつないでいくことを目的としています。
先月Webサイトが立ち上がり、いよいよ本格始動しました。
Webサイトでは、現在も残る被爆樹木30本を紹介する動画や被爆樹木マップ、長崎原爆資料館学芸員の方が語る「それぞれの樹木の物語」の解説などを見ることができます。
「暴力による負の連鎖を、いかにして断ち切るかということが、今もなお人類に残された課題なのではないかと思います。
紛争や戦争、テロやその報復が地球上からなくなることは、残念ながらまだありません。
Webサイトの動画では、“すべての生命が等しく生きられる世界”を願う象徴として被爆樹木が存在しているというメッセージを表現させていただきました。
ともすると壮大な話に聞こえるかもしれませんが、少しずつですが、世界はそういう方向に向かっていると感じています。
人間は、言葉を用い知恵を使うことのできる生き物。まずは身近な人に対して想いやりを持つことが始まりなのではと思います。
もちろん僕自身もそうでありたいと思っています。
そうした我々の小さな親切心や優しさの連鎖が平和な世界につながっていくのではないかと。」