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ホームの高齢者に最期まで寄り添い続けたトラ

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ホームの高齢者に寄り添い続けたトラ
 最期は抱きしめられて天国へ

ペットと暮らせる特養から 若山三千彦

2021年2月1日(月) yomiDr.

トラ(写真)は、さくらの里山科で6年半暮らしたのち、旅立ちました。
多くの入居者様の最期の瞬間に寄り添ってきたトラを看取(みと)ったのは、入居者様の中村康代さん(仮名、70歳代)と、ユニット職員のリーダーの安田ゆきえ(仮名)です。
トラの、さくらの里山科で過ごした半生を語る時、欠かすことができない存在が中村さんです。
中村さんは、最初から最後までトラを見守ってきたのです。
中村さんはホームに入居する前、精神的にはひどく落ち込んだ状態でした。
ご主人を亡くしてから、まだ間もなかったのです。
お子さんのいない中村さんとご主人は、非常に仲のよいおしどり夫婦だったそうで、どこに行くにもいつも一緒だったそうです。
そんな大切なご主人を亡くすのとほぼ同時期に、中村さん自身も大病をして、手術の結果、車いす生活になってしまいました。
二重のショックで中村さんはすっかりふさぎ込んでしまいました。
笑顔は失われ、言葉を発することもなく、手で車いすを動かすことはできるのに、自分から動くこともなくなったそうです。


さくらの里山科で6年半暮らしたトラ

■トラと出会い、運動量も食事量も増えた女性
そんな中村さんが久しぶりに笑顔を見せたのは、さくらの里山科に入居した初日です。
トラが中村さんの足元にすり寄り、車いすに座る膝の上に飛び乗って来たのです。
猫が大好きで、ご主人と一緒に常に猫を飼ってきた中村さんは、愛らしいトラのしぐさに、一瞬でとりこになってしまいました。
満面の笑みを浮かべ、トラに話しかけたのです。
トラと出会って、中村さんの生活は180度変わりました。
トラと話す時は、いつも笑みを絶やしません。
トラの姿が見えないと、自分で車いすを動かし、あちこちを探し回ります。
自然と運動量が増え、それに伴い食事量も増し、見違えるように健康になりました。
拘縮という、腕や足が動かなくなり、縮こまってしまう病気があります。
基本的には高齢者の病気であり、手や足をあまり動かさないでいるうちに固まってしまう病気です。
体を動かさないでいることが原因で起きる病気を、まとめて廃用症候群と言います。
拘縮は、廃用症候群の症状の一つなのです。

■腕の拘縮は完全に治り、よく話すように
中村さんは、腕の拘縮が始まっていました。
車いす生活で、ほとんど腕を動かさなかったためです。
それが、自ら車いすを手でこぐことが最高のリハビリになり、拘縮は完全に治りました。
奇跡のようなことです。
中村さんの精神面も大きく変わりました。
トラのことについて、職員や他の入居者様と積極的に話すようになり、知的で、お話の面白いおばあちゃんと、職員には大人気でした。
入居前のふさぎ込んでいた中村さんとはもはや別人でした。
体が弱く、病気がちだったトラの様子を中村さんは常に気にかけていました。
「朝食後の薬を飲ませてあげてね」  「鼻水が出ているから、私が拭いておくわ」  「今日はちょっと震えているわ。毛布をかけてあげて」  中村さんがトラの体調を細かく観察し、職員に情報提供してくれるので、職員は大変助かりました。
最後の2年間、トラは毎日、水分点滴をするようになりました。
職員のリーダーの安田が、獣医師さんから点滴の方法を習ってきたのです。
安田が点滴をセットすると、その後、点滴を受けているトラを見守るのは、中村さんが引き受けてくれました。
中村さんの助けなしには、トラの体調管理と看病はうまくいかなかったと思います。

■病弱な保護猫だったトラ 長生きしないと思われたが

入居者にかわいがられるトラ

実は、トラを私たちに託してくれた動物愛護団体の「ちばわん」さんは、トラは当時5~6歳というシニア猫に近い年齢だったうえに、病弱で長生きできないだろうと推測していました。
そんな状態のトラには、一般の飼い主は見つからないだろうと考え、せめて余生を寂しい思いをせず過ごさせたいと、さくらの里山科に託してくれたのです。
それが、そこから6年半も生きられるとは、ちばわんさんにとっても、私たちにとっても予想外のことでした。

■入居者と職員のコンビで、きめ細かにトラの体調管理
トラが6年半も生きられた理由の一つは、トラがホームで多くの人に寄り添って癒やし、看取るという活動をすることによって、トラ自身が生きる力を得ていたことだと私は思っています。
そしてもう一つの理由は、中村さんと安田のコンビによるきめ細やかな体調管理とケアだと考えています。
中村さんの存在抜きでは、トラの長生きはあり得なかったでしょう。
自分自身が点滴を受け、ぎりぎりで命を保っている状態になりながらも、トラはご入居者様に寄り添って看取ることを続けていました。
そして、ついに自分自身が看取られる時が来ます。
その時、安田は、やむをえない事情で休暇をとっていました。
トラの体調が悪化した時、職員は安田に連絡をするか迷いました。
これまでに何度もトラは、体調が悪化しては回復するということを繰り返していたからです。

■トラの異変に気づいたのは…
しかし、中村さんだけは、トラの状態がそれまでとは違うことに気がつきました。
「安田さんを呼んで。早く!」
トラをなでながら、中村さんは叫びました。
中村さんには、トラの最期がもうすぐそこに迫っているのが感じられたのです。
幸い、安田が駆けつけるまでの数時間、トラは命を保ってくれました。
安田の顔を見ると、トラはもう動く力もないはずなのに、立ち上がり、安田にすがりつきました。
そして、安田と中村さんに抱きしめられて、旅立っていきました。
中村さんは、その後も元気に猫たちの世話をしています。
ホームにはトラ以外にも病気の猫、高齢の猫がおり、中村さんのおかげでしっかりとケアができています。
中村さんは、猫たち皆のおばあちゃんなのです。

若山 三千彦(わかやま・みちひこ)

社会福祉法人「心の会」理事長、特別養護老人ホーム「さくらの里 山科」(神奈川県横須賀市)施設長
1965年、神奈川県生まれ。横浜国立大教育学部卒。筑波大学大学院修了。世界で初めてクローンマウスを実現した実弟・若山照彦を描いたノンフィクション「リアル・クローン」(2000年、小学館)で第6回小学館ノンフィクション大賞・優秀賞を受賞。学校教員を退職後、社会福祉法人「心の会」創立。2012年に設立した「さくらの里 山科」は日本で唯一、ペットの犬や猫と暮らせる特別養護老人ホームとして全国から注目されている。20年6月、著書「看取(みと)り犬(いぬ)・文福(ぶんぷく) 人の命に寄り添う奇跡のペット物語」(宝島社、1300円税別)が出版された。


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