柴田理恵、愛犬・晴太郎の旅立ちを報告
「運命のような出会いから約14年」
タレントの柴田理恵が4日に自身のアメブロを更新。
愛犬・晴太郎の旅立ちを報告した。
柴田理恵公式ブログよりスクリーンショット
柴田は2005年、テレビ番組の撮影中に脚に障害を持った犬が捨てられているのを発見。
晴太郎と名付けて引き取り、それ以降一緒に暮らしていた。
昨年12月26日のブログでは、お笑いコンビ・オアシズの光浦靖子から羊毛フェルトで作られた晴太郎のマスコットをプレゼントされ、「あまりにそっくりで、大感動」「ありがと~光浦!!大切にします」と喜びをつづっていた。
この日、柴田は「6月27日 晴太郎が永眠致しました」と報告。
「2005年、運命のような出会いから約14年 ハルはいつも私のことを待っててくれました」と振り返り、「最後も私の仕事が落ち着くのを待ってくれてたようで看取ることが出来ました」と説明した。
柴田は「一瞬一瞬がかけがえのない宝物です」と述べ、生前の晴太郎の写真を公開。
「TVやブログ様々な媒体で晴太郎を知ってくださり かわいがってくださった皆様 本当にありがとうございました」と感謝を述べた。
この投稿に「晴太郎君、理恵ママの元で幸せでしたね」「柴田さん達がハルくんと出会えて幸せだったようにハルくんもきっと、楽しかったと思いますよ」「柴田さんどうかお気をおとされませんように」「晴太郎君 安らかに」などのコメントが寄せられている。
捨て犬だった晴太郎が来て 夫婦が「家族」に 柴田理恵さん
2018年4月24日 sippo(朝日新聞社)
俳優やタレントとして活躍する柴田理恵さんは、障害のある雑種犬と暮らしています。
引き取るまでの葛藤や、犬と暮らして変化した夫婦の姿を語ってもらいました。
柴田理恵さんと愛犬の晴太郎。肩を組んだお気に入りの1枚だという=柴田さん提供
――「晴太郎(はるたろう)」との出会いを教えてください。
晴太郎との出会いは、13年前。まだ残暑が厳しいある日、テレビ番組の撮影をしていた場所の近くで、「キャン、キャン」という鳴き声が聞こえたのです。
近寄ってみると、テープでぐるぐる巻きになった木箱が捨てられていました。
中には2匹の子犬がいて、そのうち1匹が「晴太郎」です。
――そのときの様子は?
晴太郎には、先天性の障害があり、左の後ろ脚が、胴体にくっついていました。
箱を開けた瞬間、もう1匹の犬はうれしそうに飛び出してきましたが、晴太郎は「ぼくはどうなるの?」とでも言いたげな目をして、じっとしていたのがすごく印象的でした。
ロケが終わってから、診察を引き受けてくれた動物病院に直行しましたが、「ひどい熱中症で、発見があと少しでも遅れていたら命が危なかった」と告げられ、そのまま入院させることになりました。
――すぐ引き取ることにしたのですか。
幼い頃に実家で飼っていたこともあり、犬はとても好きだったのですが、仕事で家を空けがちな生活スタイルを考えるとすぐには決意ができませんでした。
飲み歩くことも好きなので、ちゃんと散歩に行けるかなぁなんて心配もありましたしね。
ずっと気にはなっていたので、2週間に1度、ロケがある度に必ず動物病院へ寄っていました。
私が行くと、すぐに駆け寄ってきてくれて。
どんどんたくましく成長する姿に心が揺れていきました。
最後には、夫と一緒に「できる限りのことを頑張ろう」という決意を固め、引き取りました。
柴田理恵さんと暮らす晴太郎。3本足でバランスをとる=柴田さん提供
脚に障害、成長する姿に決意固めた
――晴太郎と暮らしてみて、いかがでしたか?
障害があった左脚の手術などをしたため、そのケアをしてあげるのは大変でした。
朝夕の散歩から帰ったら消毒をして、包帯を替えて。この処置に1時間ほどかかるので、忙しいときは必死でした。
慣れるまでは心配の連続でした。
――つらくはなかったですか?
大変だったけど、帰ってきて出迎えてくれるとやっぱりうれしい。
それに、晴太郎が私の生活をがらりと変えてくれました。
我が家に子どもはいませんが、晴太郎を通じ、夫婦のあり方が変わったんです。
これまでは、2人の「個人」が一緒に生活している感じでしたが、晴太郎を中心に予定を組んだり、心配を共有したりすることで、「家族」になった気がしました。晴太郎が見ていると思うと、夫婦げんかもしなくなりましたね。
――もう13歳ですね。
だいぶ「おじいちゃん」になりました。
いまは、筋力が衰えて歩けなくなったときに困らないよう、特注の車いすを作って装着する練習をしています。
――「最後まで責任を持つ」飼い方ができない人も多いようです。
これは本当に悲しいこと。
動物が寿命を全うするまで一緒にいられないなら、飼ってはいけないと思います。
いま、ペットショップで気軽に動物を買える時代。
ペットショップの中には、高齢の方に赤ちゃん犬やかなりの運動量を必要とする犬種を売ってしまうケースもあると聞きます。
そんなの、お互いに幸せじゃないですよね。
「命」を取り扱っている以上、売る方も飼う方も、きちんとした知識が必要だと声を大にして言いたいです。
(聞き手・中井なつみ)
〈しばた・りえ〉1959年、富山県生まれ。タレント、俳優として幅広い番組や舞台に出演。夫、犬2匹と暮らす。
柴田理恵さんと愛犬・晴太郎との奇跡の物語
2011年3月19日 NTV
バラエティや舞台、ドラマで大活躍!の柴田理恵さん。
子供の頃から大の動物好き。
拾った犬や猫を飼い、動物に囲まれて育った柴田さん。
しかしある理由から、ここ数年、動物を飼うのをやめてしまいました。
そんな時に柴田さんは、一匹の犬に出会います。
名前は「晴太郎」。
実は、障がいのある犬でした。
出会いは、番組の撮影で名古屋に行ったとき、打合せを始めようとしたその時
犬「クゥ~ン」
柴田「何か聴こえない?犬の鳴き声?」
するとそこには、積み上げられたゴミ。今にも消え入りそうな犬の鳴き声は、不法投棄されたゴミの中の木箱から聞こえていました。
柴田さんが箱を開けると
柴田「良かった、元気あるみたいね。」
ところが、その奥にはもう一匹衰弱しきった犬がいました。
抱き上げてみるとその小犬の足にはおそらく生まれつきのものと思われる障がいがあったのです。
左の後ろ足が、大きく外側にねじ曲がり、脇腹に、癒着。
歩くこともできない状態だったのです。
動物病院に運ばれ、命を取り留めた2匹の子犬。
女の子は、「リエちゃん」、障がいのある男の子は「晴太郎」と名付けられ、治療を受けることに。
そして獣医さんは
医師「引き取り手を探してみましょう」
柴田「(私が飼えれば・・・)」
しかし、「自分が子犬を飼う」とは言い出せませんでした。
柴田さんは、動物を飼う事、命を預かる事の責任を、とても重く感じていたのです。
そのきっかけとなったのは、柴田さんが飼っていた猫「ひめちゃん」です。
大忙しだった柴田さんの心を、その猫はいつも癒してくれました。
しかし・・・
柴田「ひめちゃんただいま~。遅くなってゴメン!」
柴田「?・・・ひめちゃん!!」
ひめちゃんの、突然の死。
重い腎臓の病による死。
発見が遅れていました。
このひめちゃんの死で、柴田さんは思いました。
『もう二度と動物を飼うのはやめよう』と。
だから
柴田「(私には・・飼えない・・・)」
忙しい柴田さん。
そして、同じく劇団の仕事をし、出張の多い夫。
そんな状態で、障がいのある子犬を育てることは、とても出来るとは思えませんでした。
その頃、体力を少し取り戻した晴太郎は、脇腹にくっついている左足の分離手術を受けました。
しかし、その足は血管の発育が悪く、足先は、切断されてしまったのです。
柴田さんは名古屋の獣医さんの元に・・・
医師「ちょっと傷の治りが遅いですが、大丈夫、晴太郎は元気にしてますよ」
晴太郎「ワンワン!」
柴田「そうですか!・・・よかった・・・」
晴太郎の容態はもちろんですが、なによりも気がかりな事は2匹の、貰い手。
医師「リエちゃんは決まりましたよ。でも、晴太郎は・・・」
柴田「そうですか・・・」
障がいのある晴太郎には、いつまでたっても貰い手は見つかりませんでした。
柴田「(このまま晴太郎に貰い手が見つからなかったら、一体どうなるんだろう…」
柴田さんは、何日も悩み続けました。
でも、答えはみつかりません。
そんなある日。
夫婦2人で徹底的に話し合いました。
本当に責任を持って飼えるのか。
それが晴太郎の幸せに本当につながるのか。
そして2人で出した結論は・・・
夫「2人で頑張って育ててみようか」
柴田「ありがとう、ありがとう・・・・」
こうして、出会いから4か月後、晴太郎は柴田さんの家にやって来ました。
この頃には、晴太郎は、うまくバランスを取り、なんとか歩けるようになっていました。
しかし手術した足は、傷口が一向に閉じませんでした。
そして東京の獣医さんは・・・
医師「手術した足をどこかにぶつけたりすると、治りが悪くなって最悪、壊死してしまいます。充分気をつけてあげて下さい」
弱い左足を保護するため、柴田さんは晴太郎にお手製のカバーを履かせることにしました。
そして、毎朝散歩に出るうちに、柴田さんは、ある夢を抱くようになりました。
柴田「晴太郎も、いつかきっと走れるようになろうね」
晴太郎「ワン!」
それは、晴太郎に、『犬としての喜びを味わって欲しい』という、願い。
しかし、柴田さんのそんな思いがまさか裏目に出るとは・・・。ある日散歩の途中で、ぶつけてはいけないと言われていた、左脚の切断面を転んで、骨折してしまったのです。
医師の診断は・・・
医師「左足は、切断の必要があります」
柴田「イヤです!全部切ってしまうなんて!」
ようやく歩けるようになっていた晴太郎。
その大事な足を、根元から失わなければならないと言うのです。
柴田「そんなことしたら、晴太郎が歩けなくなってしまう。先生、どうにかならないんですか!」
医師「もうこうするしかないんです。このままだといずれ左足が壊死して、命にかかわることになります」
柴田「そんな・・・(私が、走って欲しいなんて思うからだ。晴太郎、ごめんね)」
自分の力不足で、動物が命を縮めてしまう。
柴田さんの胸に、またそんな思いが押し寄せます。
やっぱりあの時、自分が飼うべきではなかった、と。
“いつかは走らせてあげたい”“犬としての喜びを味あわせて上げたい”という夢を見て頑張ってきた柴田さん。
その夢が、終わろうとしている瞬間でした。
そして、家に戻ってきた晴太郎の姿は、左足は、根元から切断されていました。
柴田「私が晴太郎の足を奪ったんだ。私に会ったからこうなってしまったのよ!」
夫「そんな事はない!君がいたから晴太郎は今も生きてるんじゃないか。歩けるようになる可能性だってまだきっと残ってるよ!」
また歩けるようになる。
その可能性はあるのでしょうか。
その時でした。
小さな奇跡が起きようとしていました。
晴太郎は、前足を、バランスをとるようにわずかに動かすとたった3本の足で立ったのです。
それは、柴田さんの思いが報われた瞬間でした。
柴田「晴太郎・・・ありがとう・・・よく頑張ったね・・・」
しかしこれはまだ、奇跡の始まりでしかありませんでした。
不法投棄現場で保護され、脚に障がいのあった晴太郎。
柴田さんは、何度もためらいながら、何度も後悔しながら、晴太郎と向き合い続けました。
そして今現在の晴太郎の姿です。
元気に走りまわる晴太郎。
柴田さんの注ぐ愛情が、晴太郎に新たな力と喜びを生み出した事は、間違いありません。
柴田「伝えたいことは“長生きしてね”ですね。とにかく“長生きしてくれ”っていうことと、ありがとうってことですかね。短い人生かもしれませんけど、精一杯、悔いの無いようにしてやろうと思います。ありがとね・・・」
晴太郎 3本足の天使
発行年月:2008年7月1日
出版社:㈱ ソニー・マガジンズ
仕様:四六判/168ページ
利用対象:一般
ISBN:978-4-7897-3300-7
価格 ¥1,540(税込)
【『晴太郎 3本足の天使』 概要】
先天性障がいを持ち、炎天下のなか捨てられていた子犬と、柴田理恵さんの運命の出会い。
「晴太郎』と名づけられたその子犬は3度の手術によって後ろ足を失ってしまう・・・。
2人3脚での奮闘の日々と純真な命の輝きを綴った、感動の涙あふれる、しあわせの記録。
[著者] 柴田理恵
[著者プロフィール]1959年1月14日生まれ。富山県出身。
劇団東京ヴォードビルショーを経て、84年6月にWAHAHA本舗を創立。
劇団の看板女優として、同じく創立メンバーである久本雅美らとともに笑いとパワー溢れる舞台を届けている。
また、「ペット大集合!ポチたま」(テレビ東京系)の司会を務めるなど、数多くのバラエティ番組でも活躍中。
主な著書に『よい子はマネしないでネ』(東京新聞出版局)や、久本雅美との共著『イママダ』(マガジンハウス)などがある。
オフィシャルブログ「柴田理恵 人生劇場」 http://ameblo.jp/shibata-rie
感想・レビュー
炎天下の名古屋の高速道路わきに捨てられていた子犬たちをロケで訪れた作者と加藤晴彦が発見し保護する。加藤晴彦にちなんで足の悪い子犬は晴太郎と名付けられ雌犬のほうはりえと名付けられる。障害を持った犬を世話することの大変さ、それを乗り越えて行く内に家族としての絆ができてそれは太くなっていく。私も体が不自由な犬2頭と14年と13年暮らした経験があるので大変だと思ったこともいつしか暮らしの中の段取りの中に組み込まれ 体に障害があるからこその愛しさ、賢さを感じる日々だった。 シニアになった晴太郎君がいつまでも柴田さんのそばにいてくれますように。