ネコの祖先、6000年前の暮らしぶりが判明、なぜ中欧に広まった?
NATIONAL GEOGRAPHIC
中欧最古の証拠を分析、近東から農耕とともに移動か、歴史解明に前進
ヨーロッパヤマネコ(写真はイタリアのナトゥラ・ヴィヴァ公園で撮影)は、6000年前のポーランドで近東から来たリビアヤマネコと同じ地域に生息していた。(PHOTOGRAPH BY JOEL SATORE)
約7000年前、近東の「肥沃な三日月地帯」を出発した新石器時代の初期の農民たちは、ヤギ、ヒツジ、ウシ、イヌなど、新たに家畜化された動物たちも一緒に連れて移動していた。
しかし彼らはおそらく、ヤマネコもこっそりとついてきたことには気がついていなかっただろう。
そして6000年ほど前に、現在のポーランドに到達した人々は、森を開拓して広々とした牧草地や農地へと変え定住し始める。
こうした農耕地のそばにある洞窟で発見されたリビアヤマネコ(Felis silvestris lybica)の骨を分析したところ、ネズミやリビアヤマネコもまた一緒にすみ着いていたことが新たな研究で明らかになった。
論文は2020年7月13日付けの「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に発表された。
現代のイエネコはリビアヤマネコの子孫であり、約1万年前に肥沃な三日月地帯で家畜化が始まったとされている。
ポーランドで見つかった約6000年前のリビアヤマネコの骨は、中央ヨーロッパにおける最古の証拠だ。
リビアヤマネコがなぜポーランドまで分布を広げたのかは分かっていなかったが、今回の発見はその謎の一端を明らかにするとともに、イエネコの進化の物語を読み解く新たな手がかりが見つかったことを意味する。
「予想もしない発見でした」と話すのは、ポーランド、ニコラウス・コペルニクス大学の動物考古学者で、研究を主導したマグダレーナ・クライツァールズ氏だ。
注目すべき発見のひとつは、ネコの上腕骨が陶器と一緒に堆積物の層に埋まっていたことだ。
ただし、当時の人々がネコとどこまで親密だったかは分からない。
ちなみに、新石器時代、人類が洞窟を訪れていたことは分かっている。
見つかったネコの骨は、たまたまイヌなどの捕食動物が洞窟に運んだものかもしれない。
それでも、この辺りにネコがいたという事実は、当時でも人間のそばで暮らすことが、ネコにとって居心地がよかったことを示唆している。
「ネコが家畜になるまでの重要なステップです」とクライツァールズ氏は述べている。
科学者たちは、リビアヤマネコの近縁種にあたる、地元種のヨーロッパヤマネコ(Felis silvestris silvestris)4匹の骨も、同じ洞窟から発掘している。
つまり、リビアヤマネコが新たなすみかにたどり着いたとき、彼らは遠い親戚と遭遇したことになる(リビアヤマネコとヨーロッパヤマネコは、約20万年前にはまだ枝分かれしていなかった)。
このことから「興味深い疑問が出てきます」とクライツァールズ氏は言う。
2種のネコは獲物をめぐって争っただろうか。
また、彼らは交配をしたのだろうか。
もしそうであれば、人間が今ペットとして飼っているイエネコには、私たちの想像以上に複雑な進化の歴史があるのかもしれない。
◆エサはもらっていなかった
近東から来たリビアヤマネコと地元のヨーロッパヤマネコの関係を探るために、研究者は、ネコの骨に含まれている窒素の同位体を分析して、彼らが何を食べていたのかを調べた。
過去の研究から、新石器時代の人々は、農作物の成長を促すために堆肥を使用していたことが分かっている。
その証拠は、人間や、イヌなどの家畜の骨における窒素濃度の上昇としても残されている。
ところが、リビアヤマネコでは骨の窒素濃度が低かった。
これは「ネコと人間との関係がかなりゆるやかなもの」であり、彼らが人間から食物をもらっていなかったことを示していると、イタリア、ローマ・ラ・サピエンツァ大学の古遺伝学者、クラウディオ・オットーニ氏は述べている。
リビアヤマネコたちが食物としていたのは、農地にすみついたネズミ類だったと思われる。
近東のハツカネズミだけでなく、ハタネズミやヨーロッパモリネズミなど、ポーランドの在来種も含まれていただろう。
一方のヨーロッパヤマネコの骨の分析でも、似たパターンが確認された。
つまり、彼らもまた、農民たちの畑や倉にいるネズミをとっていたことを示唆している。
しかし、この分析は、ヨーロッパヤマネコたちがツグミなどの野生の渡り鳥も獲物にしていたことも明らかにした。
森が切り開かれ農地となったことで、渡り鳥もやって来るようになったためだろう。
つまり「2種のヤマネコたちは、直接、獲物で競合するようなことがなかったのです」と、クライツァールズ氏は言う。
彼らはこの新たな生息地で「共存することができ」、さらには交配をしていた可能性が高い。
今後の遺伝学的な研究によって、彼らがどの程度交配していたのか、さらには、ヨーロッパヤマネコの遺伝子が加わることが、リビアヤマネコのイエネコへの進化に影響を与えたのかどうかが明らかになるかもしれない。
たとえば、ヨーロッパヤマネコの遺伝子が、この土地にいたリビアヤマネコが完全にイエネコ化されるのを、長年、妨げていた可能性もある。
ポーランドでは、イエネコの骨は西暦200年までは登場しないから、この仮説は説得力を持っている。
ただ、近年、イエネコとヨーロッパヤマネコは交配を繰り返していて、野生種が遺伝的な健全性を保つうえでの脅威となっている。
◆イエネコの1万年の旅路をたどる
考古学者らは、リビアヤマネコ(少し体が大きいが、それ以外は現代のイエネコとほとんど変わらない)が、最初に砂漠を離れたのは、簡単に手に入る食料につられてのことだったのではないかと考えている。
その食料とは、肥沃な三日月地帯の農地を走り回るハツカネズミだ。
ヤマネコは片利共生生物、すなわちほかの動物の資源(たとえば人間の貯蔵食料やゴミ)を搾取する動物である一方、人間とより近い関係になることをできるだけ避けようとしていた。
「オオカミやブタも、最初は似たような過程を経て家畜化されていったと考えられています」と、クライツァールズ氏は言う。
いにしえの人間たちは、ヤマネコの行動を大目にみていたようだ。
ひょっとすると、ヤマネコたちが自ら進んで果たしていたネズミ退治の仕事をありがたく思い、やがて家の中にもいれるようになったのかもしれない。
ところで、現在分かっている最古のイエネコの埋葬例は9500年前のもので、トルコから約70キロ南に浮かぶキプロス島で2004年に発見された。
生後8カ月のそのネコは、貝殻や磨かれた石などの装飾品と、飼い主と思われる30歳の人間(性別は不明)と一緒に墓に葬られていた。
ちなみに、古代のキプロス島には野生のヤマネコはいない。
「ネコは約1万年前に船乗りが連れてきた」と考える研究者もいる。
ヤマネコをイエネコへと変貌させていった遺伝的な変化や、生活の変化については、まだ多くの疑問がある。
ネコは外洋を航行する船に乗って、つまり人間によって世界各地へと散らばっていったのだろうか?
それとも、ネコ自らが人がすむ地を渡り歩いていったのだろうか?
「今後は、遺伝子解析で、ヤマネコが辿ってきた、砂漠から農地、農地から暖かい家の中(さらにペットとして人間の心の中)へと至る道のりを完全に明らかにしたい」とクライツァールズ氏は述べている。
文=VIRGINIA MORELL/訳=北村京子
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