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銃声響く動物園…ヒグマ親子、最初の犠牲に

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銃声響く動物園…ヒグマ親子、最初の犠牲に
 軍部命令で殺処分、食糧難で餓死も

2020年8月15日(土) 京都新聞

最初にヒグマの親子が殺された。
第2次世界大戦中の1944(昭和19)年3月、京都市紀念動物園(現・市動物園、左京区)。
軍部の命令だった。
子の雄熊の前頭部に銃弾が撃ち込まれ、続いて母熊にも。
流れ落ちる鮮血。
雄熊が突然起き上がったため、再び銃声がとどろいた。
翌日、2頭はまだ息があった。
太い針金で絞殺するまで、さらに1時間要したという。
ホッキョクグマ、トラ、ライオン…。
その後も殺処分は続き、計14頭の猛獣類が犠牲に。
「当時の飼育員は本当につらかったと思う。麻酔もなく、早く楽にしてやりたい一心だったはず」と坂本英房園長は話す。
空襲でおりが破壊されて動物が逃げれば人を襲う―。
そんな社会不安に対し、園は「空爆を受ければ脱走前に死ぬ」と、当時の京都日日新聞などで沈静化に努めたが、かなわなかった。
殺処分によって敵国への憎悪を膨らませ、戦意高揚を狙ったとの指摘もある。
一方、食糧難や物資不足も深刻だった。
園の鉄扉が供出で木製となり、石炭が足りずワニやヘビなどは寒さを強いられた。
大量の飼料をまかなうため、42年から園内で野菜を作り、翌年には北区紫野の竹やぶを開墾。
だがキリンやラクダ、インドゾウなどが次々と衰弱し、終戦後に命を落とす。
40年に209種965頭(匹、羽)いた動物は、5年後に72種274頭(同)まで激減した。
こうした悲惨な過去を伝えようと、園はサイトに「戦争と京都市動物園」と題したページを昨夏に設けた。
園の一角には、これまでに死んだ動物を弔う「萬霊塔」がたたずみ、毎年9月に慰霊祭が営まれている。
2015年には、冒頭のヒグマ親子の悲劇を描いた絵本「ぼく 生きたかったよ…」(かりん舎)が出版され、読み聞かせでも活用している。


ヒグマの親子の悲劇を描いた絵本「ぼく 生きたかったよ…」。読み聞かせなどで園内でも活用されている

監修したのは、戦時中の猛獣処分を研究する三上右近さん(55)=札幌市=。
巻末の解説では、全国の動物園で160頭以上が殺された史実を記した。
「動物園は平和そのものである(ZOO IS THE PEACE)」。
上野動物園(東京)の初代園長、古賀忠道氏が残した言葉を引用し、三上さんはこう強調する。
「戦争になると命が驚くほど軽くなり、動物たちは何も分からないまま人間の非情さの犠牲になる。動物園があり続けることこそ平和の証しであり、訪れる時はこの言葉を思い出してほしい」


京都市動物園の「動物園沿革史」に収められた戦時中の園の記録。昭和19年3月に赤熊(ヒグマ)やライオンなどが殺処分されたことが記されている


【関連内容】
一生心に残るドラマ
 「ゾウのはな子」 千の風になってドラマスペシャル
2007年8月4日、フジテレビ系にて放送されたドラマ・スペシャル。戦禍において餓死させられた上野動物園のゾウ・花子と、タイからやってきた子ゾウ・はなこ。2頭の過酷な運命を、反町隆史、北村一輝の共演で描く。


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