余命3か月「俺はチロに看取られたいんだよ」…
特養ホームで愛犬と過ごした奇跡の日々
2020年2月4日(火) yomiDr.(ヨミドクター)
若山三千彦 ペットと暮らせる特養から
「俺はチロに看取(みと)られたいんだよ」。
伊藤さんの言葉は、4年たった今も耳に焼き付いています。
伊藤さんが息を引き取られる時の穏やかな顔と、それをひたむきに見つめるチロの瞳を思い出すと、今でも涙がにじんでしまいます。
伊藤さん
◆延命もホスピスも拒否して入居
ポメラニアンのチロと飼い主の伊藤大吉さん(仮名)(写真)が、私が経営する特別養護老人ホームに入居したのは2015年10月のことです。
その時、伊藤さんは末期がんのため、余命3か月と言われていました。
余命3か月での入居、それは前代未聞のことでした。
そして、伊藤さんがチロと過ごした日々は、私たちにとって忘れえぬものになったのです。
末期がんで余命宣告を受けたら、みなさんはどうしますか?
残された日々をどう過ごすか、誰もが必死に考えると思います。
伊藤さんが望んだことは、愛犬のチロと一緒に過ごすこと、それだけでした。
治療も延命も全てを捨て、入院もホスピスも拒否して、チロと一緒に過ごすことだけを選んだのです。
そうして伊藤さんは、全国で唯一のペットと一緒に入居できる特別養護老人ホームである「さくらの里山科」にやって来ました。
◆入居当日からチロと散歩 車いすになっても毎日
伊藤さんは、チロとの生活を、チロと過ごす一瞬一瞬を本当に大切にしていました。
なんと入居した当日、すぐにチロの散歩に出かけたのです。
この頃、まだ伊藤さんは 杖つえ をついて歩くことが出来ました。
季節は秋。
枯れ葉の舞う街路樹の下を歩く伊藤さんとチロの影が長く伸びて重なるのを見て、伊藤さんの余命を知っている職員は、涙を抑えられなかったと語っています。
入居して2週間もたたないうちに、伊藤さんは歩くことが困難になり、車いす生活になりました。
それでも車いすをこいで毎日、チロの散歩に出かけていました。
チロは、いつも伊藤さんと一緒にいました。
夜はもちろん同じベッドで眠り、朝は一緒に起きてきます。
日中は、いつも伊藤さんの膝の上にいました。
丸まったチロの背を伊藤さんがなでると、チロはうれしそうに顔を上げて笑顔を浮かべるのでした。
ふたりの姿は幸せそのものでした。
◆願い通りにチロに看取られて旅立ち
伊藤さんの口癖は「俺はチロに看取られたいんだよ」でした。
伊藤さんがこのセリフを言う時、膝の上にいるチロは、それまで眠っていたのに顔を上げ、ひたむきな瞳で伊藤さんを見つめていました。
まるで伊藤さんの言葉がわかっているかのようでした。
その願いはかない、伊藤さんが最期を迎えた瞬間、枕元にはチロがいました。
念願通り、チロに看取られて旅立たれたのです。
伊藤さんがよく口にした言葉が、他に二つあります。
一つは「少しでも長くチロと一緒にいられるように頑張るぞ」というものでした。
実際に、伊藤さんは一日でも長生きできるように必死だったと思います。
病気のために食欲もないはずなのに、頑張って毎回すべての食事を召し上がっていました。
大嫌いなピーマンまで召し上がっているので、娘さんが驚いたほどです。
◆余命をはるかに超える10か月
この二つめ目の願いもかないました。
結果として伊藤さんは、さくらの里山科で余命をはるかに超える10か月も生きることができました。
これは奇跡だと思っています。
もう一つの言葉は、「俺が死んだら、ここでチロをみてやってくれよ」というものでした。
私たちが「チロのことは最後まで確実に面倒をみます」と答えると、安心したようにほほえむのでした。
この三つ目の願いも、もちろんかなっています。
伊藤さんが亡くなって3年たった今も、チロはさくらの里山科で元気で過ごしています。
チロがいつか、虹の橋で伊藤さんに再会するまで、私たちはしっかりチロを守っていきます。
若山三千彦
若山三千彦(わかやま・みちひこ)
社会福祉法人「心の会」理事長、特別養護老人ホーム「さくらの里 山科」(神奈川県横須賀市)施設長
1965年、神奈川県生まれ。横浜国立大教育学部卒。筑波大学大学院修了。世界で初めてクローンマウスを実現した実弟・若山照彦を描いたノンフィクション「リアル・クローン」(2000年、小学館)で第6回小学館ノンフィクション大賞・優秀賞を受賞。学校教員を退職後、社会福祉法人「心の会」創立。2012年に設立した「さくらの里 山科」は日本で唯一、ペットの犬や猫と暮らせる特別養護老人ホームとして全国から注目されている。19年7月、ホームでの人とペットの感動のドラマを描いた「看取みとり犬(いぬ)・文福(ぶんぷく)の奇跡 心が温かくなる15の掌編」(東邦出版、1389円税別)を出版、大きな反響を呼んだ。