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秋田犬ブリーダーの奮闘

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今や発祥の地に暮らすのはわずか30頭・・・
 プーチン大統領に贈られた「ゆめ」を育て上げた秋田犬ブリーダーの奮闘 

2019年7月17日(水) AbenaTIMES 

ピンと立った耳に、つぶらな瞳。
太く、くるりと巻いた尻尾。
均整の取れた体で凛々しく立つのは、日本犬として初めて国の天然記念物となった「秋田犬」だ。
ちなみに読みは“あきたけん“ではなく“あきたいぬ“。
秋田県大館市に本部を置く秋田犬保存会に認められた犬だけが名乗ることができる。


秋田犬の子犬

昨年、平昌オリンピック女子フィギュアスケートで金メダルを獲得したロシアのザギトワ選手にメス犬の「マサル」が贈られたことをきっかけに人気が過熱。
ぬいぐるみなどの関連商品は品薄状態が続き、ふれあい施設にも連日、大勢の人が詰めかけた。
今や、海外で“AKITA“といえば、地名(県名)ではなく、「秋田犬」のことなのだ。
しかし、40年前には国内を中心に4万頭がいた秋田犬も、今やおよそ5000頭を数えるまでに減少。
ブリーダーの高齢化も進んでいる。
“真の秋田犬“を未来に残すことはできるのか。
今、日本の誇りが大事な岐路に立たされている。


暗いうちから散歩に出かける

■プーチン大統領に贈られた秋田犬を育てたブリーダー
そんな中、長年受け継がれてきた血統を守るために奮闘する人たちがいる。
発祥の地・大館市で秋田犬を飼育・繁殖するブリーダーの畠山正二さんもその一人だ。
「ゆめがあっちいったら、一気にワーッてなったもんな」。
2012年、ロシアのプーチン大統領に贈られた「ゆめ」も、実は畠山さんのもとで生まれ育ったメス犬だ。
以来、「畠山さんが育てた子犬が欲しい」という問い合わせが次々に寄せられるようになった。
本業は農家の畠山さん。
本格的に飼育を始めたのは13年前のこと。
先輩ブリーダーの教えを元に、自分なりの飼育方法を確立してきた。
先輩ブリーダーの本瀬純一さんは、畠山さんについて「繁殖のためには発情の見逃しがあってはならないが、そういった点をしっかりチェックしている。日頃の手入れ、運動管理もいいし、生まれた子犬は非常に大きく、コロコロ可愛く育ててくれる。安心して子犬を任せられる方だと思っている」と評価する。


子犬を見送る畠山さん

まだ外は暗い午前4時、畠山さんの1日は始まる。
朝と夕方の2回、1頭につき20分ほど散歩に出る。
「散歩を続けないと体が小さくなってしまうから。ある程度自由に歩かせている」。
エサはドッグフードに自身が作った飼料用米“めんこいな“を炊いたごはんを加えている。
生後5カ月の犬を前に「小さい時から1日2回、どんどん栄養のあるものを食わせて大きくしなければ、なかなかうまくいかない(笑)。金もかかるけど、色々工夫してな」。
子犬たちの父親は展覧会で優秀な成績を収めた雄犬。
これからの成長が期待され、生後3カ月になる子犬3頭の引き取り手はすぐに決まった。
「この子は月曜日にはいなくなる。ほーらほら」。
そのうち1頭は、知人を通じてアメリカに送られることになった。
引き取りに来た男性に「天気がいい時には太陽に当てるよう、伝えてくれ。そうしなければ足が曲がる恐れあるから」とアドバイス。
そして子犬には笑顔で「チビ、ばいばいだよ。ばいばい、大きくなれ」と声をかけ、送り出した。


アメリカンアキタ

■偽の血統書も…秋田犬を守るための絶えない苦労
「ハチ公物語」がハリウッドでリメイクされたことや、様々な分野の著名人に愛好家が多いこともあり、世界で人気を集めている秋田犬。
血統書を発行する秋田犬保存会に登録された頭数も、2016年には初めて海外が国内を上回った。
19ある保存会の海外支部の中で最も歴史が古く、最大規模を誇るのが、アメリカとカナダからなる北米クラブだ。
愛犬家が多いカリフォルニア州ロサンゼルスに、100以上の会員をまとめる北米クラブ代表で、日系2世のスティーブン・タカマツさんが暮らしている。
「15年前に秋田犬保存会に出会って、日本の秋田犬が欲しかったと思って、引き取って飼い始めた。忠誠心が強く自分たちを守ってくれる。一番の魅力は目。日本のブリ―ダーに会うたびに新しい情報を聞くようにして、そこで集めた情報を北米支部メンバーに伝えている」。
妻のジュディさんとともに、秋田犬8頭を飼育、保存会に登録された犬のみを交配させ、純血の繁殖を守っているタカマツさんは、日本に何度も足を運び、畠山さんを訪ねたこともある。
さらに秋田犬を連れたピクニックや北米クラブ主催の「展覧会」を開くなど、会員同士の交流も大切にしてきた。

 
偽の血統書

また、ロサンゼルス支部として1970年に設立された北米クラブも、繁殖に関して曖昧だった支部内のルールを厳しく規制したことやリーマンショックの余波を受け、2010年ごろには会員が10人前後まで落ち込んでしまったこともある。
北米クラブ前代表、川嵜健司さんは「アメリカの人が興味をもって繁殖に力を入れてきたのはここ10年。一時期は辞めようかというくらいまで人数が減ったこともある。これじゃいかんということで、スティーブンが一生懸命やってくれた」と振り返る。
そんなアメリカでかつて主流だったのは、秋田犬とは見た目が異なる「アメリカンアキタ」だった。
戦後にアメリカ兵が日本から持ち帰った秋田犬の子孫で、洋犬と交配していた当時の特徴が色濃く残る。
もともと秋田犬の祖先は山で狩猟にあたったマタギ犬で、江戸時代から大正時代にかけては闘犬にするために土佐犬やシェパードなどと交配し、大型化させていた。
1931年に国の天然記念物に指定されるが、その後も無作為な交配が繰り返され、わずかな純血種を土台にマタギ犬時代の形に近づける努力を重ね、ようやく今の姿を取り戻した経緯がある。
海外で人気が広がってからは保存会の記録にはない偽の血統書が出回ったこともあり、通常15万円ほどの子犬が数百万円という高値で取引されることもあるという。
健全で正しい血統を守る苦労は絶えないのだ。


畠山さんと「小町姫」

■発祥の地に暮らす秋田犬はわずか30頭まで減少
大館市で80年以上続く祭典「本部展覧会」。
毎年5月3日に行われ、姿かたちの外見と、物おじしない態度といった内面的な要素が審査され、世界一の秋田犬が決まる。
今回、この10年では最も多い193頭が国内外から出場した。
参加者の一人は、「このためにみんな頑張っているようなものかな」と話す。
審査長の齋藤晃さんによると、「姿、形、色…表情。内面的なもの。項目としては200以上ある。競ってこそスタンダードが守れる」といい、飼い主たちは保存会が掲げる「秋田犬標準」(性格は素直で忠実。足元から頭頂部までの高さや体長、頭、顎、目、口の中まで細かい基準が定められている)に倣い、種の保存、正しい血統の継承に努めている。
そのため、本部と各支部で年50回も開かれる展覧会では、先天的に耳が立っていなかったり、尻尾が巻いていなかったりした場合は失格となる。
「やっぱり運動能力に支障をきたしたりするものも審査の大事な一つ。100%完璧なものはいないが、欠点が広がらないよう、厳しく審査しなければ、健全な秋田犬は広がらない」(齋藤さん)。


畠山さん

しかし展覧会の前日になり、審査部門への出場は断念を余儀なくされることになった。
開催場所が変更になり、出場頭数も多くなったことから、保存会の役員も務める畠山さんの仕事も予想以上に増え、出場を諦めざるを得なくなってしまったのだ。
「好きで飼っていた人たちも60歳過ぎて、会員も少なくなった。若い人が飼うのは容易でないもんな」。
実は地元・秋田県内の飼育頭数は年々減少し、保存会に登録された犬のうち、発祥の地である大館に暮らすのはわずか30頭ほど。
展覧会への出場も、県内出身の犬が年々減少する一方、海外からの出場は増加しており、今回「特優一席」に選ばれたのも、スペインから出場した犬だった。
ブリーダーは「夢がかなった」と顔をほころばせた。
様々な土地で暮らす秋田犬が増えたことで、大館で開催される本部展覧会の意義も一層深いものとなっているのだ。
出場を諦めた畠山さんも「優秀な成績とった犬を見るのは嬉しい。展覧会で成績のいい雄犬を交配して血統守ってきているから。それが1番大事。どこまでもいい血統を守っていくのが大事」と話す。


畠山さんと秋田犬

そんな中、小町姫は、「供覧犬」、審査の対象には含まれないが、姿・形の優れた模範の犬として国内外から集まったブリーダーたちの前で披露された。
「つらいことはつらいけど、自分で好きでやっているから」。
全国で最も速いスピードで人口減少、高齢化が進む秋田県。
世界に誇る秋田犬さえも窮地に立たされる中、今日も畠山さんは、血統を未来へとつないでいく。

【動画】テレメンタリー「That's AKITA これぞ秋田犬」
(秋田朝日放送制作 テレメンタリー『That's AKITA これぞ秋田犬』より)


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