<福島原発事故>
酪農家が「牛魂碑」 餓死した家族忘れない
2017年4月9日(日) 毎日新聞
小高区大富地区の酪農家の仲間たちと建立した牛魂碑に線香を供え、祈りをささげた渡部隆雄さん=福島県南相馬市で2017年4月8日午前9時17分、小出洋平撮影
「牛に生き地獄を味わわせてしまった」。
東京電力福島第1原発事故で避難を余儀なくされ、家族同然の牛たちを餓死させた福島県南相馬市小高区大富の酪農家、渡部隆雄さん(55)の気持ちは今も晴れない。
避難指示は昨年7月に解除されたが、後悔の念に駆られて酪農を再開できないからだ。
同じ境遇の酪農家らと牛舎近くに「牛魂碑」を建て、慰霊の祈りをささげる。
「(建立に)6年もかかってごめんな」。
渡部さんは8日午前、真新しい慰霊碑の前で静かに目を閉じた。
2011年3月11日は牛舎で作業中だった。
乳牛約60頭にけがはなかったが、原発事故で避難指示が出た。
色も臭いもない放射線に実感が湧かない中、14日に両親と家を離れた。
牛をつなぐ鎖を外すか迷ったが、「他の家に迷惑をかけても困る」と思い、そのままにした。
一時帰宅が許された同年6月、牛舎に入ると、地面には大量のウジ虫とハエ。
牛たちは、骨と皮の無残な姿で餓死していた。
牛舎の柱が異様に細い。
「餌がなく木までかじったのか」
「土地を荒れ放題にしてはおけない」と、14年から牛の餌となる牧草やトウモロコシ作りを再開。
知人も餌作りはできても、誰一人として牛を飼うことができない。
渡部さんは「死んだ牛たちのためにも大富を発展させていきたい」と前を向いた。
【南茂芽育】
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