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温もりのメッセージ「学校犬アラシ」

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学校犬アラシ

2017-03-07―08
テーマ:ショートショートストーリー

私はこの3月で定年を迎える。
小学校教師として約40年間勤め上げることができて、感慨もひとしおだ。
振り返ればいろいろなことがあった。
その中でも、とりわけ忘れられないのは、私がまだ新米教師だった頃に一緒に過ごした一匹の犬のことだ。
学校犬アラシ、今日はそのアラシのことをお話しよう。

          ※          ※          ※          ※

アラシは私が勤める小学校の校庭の隅に捨てられていた子犬だった。
児童が見つけ、学校で飼えないかと私のところに連れてきたのだ。
私は当時、教師になって2年目で、まだまだ新米の域で、自分ひとりで判断できるはずもなく、教頭と校長に相談した。
昼間は私が児童と共に世話をし、夜は宿直の教師が世話をすることで許可がおり、その子犬は学校で飼うことになった。
名前をアラシと名付けられたその子犬は、赤茶色の短毛で、どこにでもいそうな雑種の雄犬だった。
私はアラシの飼育責任者となり、日常の世話は主に5、6年生の有志が担当した。
アラシは名前とは間逆の大人しい犬で、頭も良く躾にもさほど苦労することはなかった。
朝の登校時、帰りの下校時は必ず児童を校門で送り迎えする律儀な犬だった。
アラシは学校犬として、すっかり児童の人気者になっていた。
学校行事にも参加し、運動会ではパン食い競争に飛び入り参加して、大ジャンプでパンを一口でパクリ、会場は大いに盛り上がったものだ。
そんなアラシが学校で暮らし始めて5年が過ぎた頃だった。
それまで何事もなく平穏に暮らしてきたアラシを巡り、ある事件が起きた。
本当にそれは突然の出来事だった。
当時5年生の児童の保護者が数名で学校にやってきた。
そして、こう言い放った。
「ここで飼っている犬を処分してください。」
あまりにも唐突過ぎて、私も校長もポカンと口を開けたまま、言葉が出なかった。
別の保護者が続けた。
「うちの息子は、あの犬に唸られ、噛みつかれそうになったんですよ。しかも、逃げる途中で転んで足に怪我をしたんです。あんな犬が学校にいたら、危険じゃないですか!すぐに保健所に連れていくべきです。」
前日の放課後、校舎の裏で遊んでいた5年生の男子児童数名に、アラシがいきなり襲いかかったと言うのだ。
私は俄かには信じ難く、動揺していた。
「まさか、アラシに限って、そんなことをするはずはありません。何かの間違いでは?仮に本当だったとして、きっと何か事情があったとしか思えません。もしかしたら息子さんたちが、アラシにイタズラでもしたんじゃないですか?」
私がつい、そんなことを言ってしまったものだから、保護者たちの神経を逆なでしてしまった。
保護者たちはさらに憤り、「先生はうちの息子たちの方が悪いって言うんですか?そんなことあり得ませんよ!とにかく、あんな凶暴な犬は処分です、いいですね!」
保護者たちの一方的な言い分だけで、アラシを保健所に送るなどということは、到底決められる訳もなく、結局、日を改めてまた話し合いの場をもつことになった。
私はアラシが何故そんなことをしたのかわからず、もやもやした気分のまま数日を過ごした。
アラシは普段と何も変わらない。
大人しく毎日を送っていた。
アラシが人間の言葉を話せたら、あの日何があったのか、聞かせてもらえるのに・・・。
そんな思いが頭の中をグルグルと駆け巡っていた。
アラシはそんな私の気持ちを知ってか知らずか、ちょっと不安げな表情を浮かべて、ク〜ンと一声鳴いて私の膝に頭を乗せてきたのだった。



いよいよ明日は保護者との話し合いだ。
明日、アラシの運命が決定する。
私は今夜は宿直、もしかしたらアラシと過ごす最後の夜になるかもしれない。
そして、アラシの夕飯を持って宿直室に入ろうとした時、中に人の気配を感じ、ふと足を止めた。
どうやら中にいるのは児童のようだ。
誰だろう、こんな時間に・・・。
児童はアラシに何か話しかけていた。
そっとドアの外で耳を澄ませた。
「アラシ、ごめん。本当にごめん。アラシは悪くない。アラシは僕を助けてくれただけなんだよね。アラシが保健所に送られることになったら、僕どうしたらいいんだろう。アラシ、本当のことを僕が話していたら、こんなことにはならなかったのに・・・。アラシ、ごめん、ごめんね。」
私はドアを開けた。
そこにいたのは、アラシが襲ったとされる児童数名の中のひとり、コウイチくんだった。
コウイチくんはびっくりした顔で、その場に立ち尽くしていた。
それから、はっと我に帰ると、そそくさと宿直室から出て行こうとした。
私はコウイチくんの背中に向かって声をかけた。
「コウイチくん、今の君を変えられるのは君自身だ。君の勇気だよ。アラシはそれを君に伝えたかったんじゃないのか。」
その言葉にコウイチくんは一瞬立ち止まったけれど、そのまま振り返ることなく走り去った。
保護者との話し合い当日。
アラシを保健所へという彼らの主張は変わらない。
アラシが学校犬として、どんなに優秀か、そしてどんなに児童から慕われているかということを説明しても、全く聞き入れる気配はなかった。
話し合いはこう着状態だった。
このままでは、アラシはやはり保健所へ送るしかないか、と半ば諦めかけていた時、コウイチくんが現れた。
コウイチくんはアラシを連れていた。
コウイチくんは少し緊張した面持ちで、フーッと一息吐くと、保護者たちに向かって語り始めた。
「アラシを保健所に送るのはやめてください。お願いします。僕はタカシくんたちに虐められていました。あの日も叩かれたり蹴られたりしてた。そんな僕の姿を見てアラシは、僕を助けようとしてくれたんです。僕は虐められていることを誰にも言えなかった、親にも先生にも。でもアラシにだけは話してた。アラシは僕のほっぺを舐めていつも慰めてくれた。アラシは僕の親友なんです。僕のせいでアラシが保健所に送られるなんて絶えられません!」
そう言うとアラシをしっかりと、抱きしめた。
コウイチくんの頬には涙が流れ、そして、アラシはその頬をつたう涙をペロペロと優しく舐めていた。
コウイチくんはやっと勇気を出して、真実を語ることができた。
保護者たちも、さすがにもう何も言えなくなってしまい、結局、アラシの保健所送りの話はなくなった。
コウイチくんを助けようとしたアラシの勇気が、コウイチくんを変えた。
虐められていた自分から、やっと抜け出すことができたのだ。

            ※        ※        ※        ※

1年後、コウイチくんはアラシに見守られながら、小学校を卒業していった。
その後もアラシは学校犬として、多くの卒業生を見送り、12歳で安らかに天国へと旅立った。
アラシの葬儀は学校で卒業式として、在校生も卒業生も多数参列した中で執り行われた。
みんなアラシとの別れを惜しみ涙にくれた。
その中には、もちろんコウイチくんの姿もあった。
コウイチくんはのちに、獣医師となり、動物たちの命と日々懸命に向き合っている。
あの日、アラシにもらった勇気を今でも大切に胸に秘めながら・・・。


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