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情に厚い男だった渡瀬さん「南極物語」

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情に厚い男だった渡瀬さん「南極物語」
 タロとジロを共演後も飼い続けた

2017年3月16日(木) スポーツニッポン


1983年1月、映画「南極物語」に出演したタロ、ジロを自宅で飼育することになった渡瀬恒彦さん

渡瀬恒彦さん死去

情に厚いことでも知られた渡瀬さん。
人間と犬の絆を描いた映画「南極物語」の撮影で、北極圏から日本に連れて来られたハスキー犬16頭について「ラストシーンの情感を盛り上げるために一緒に生活した方がいい」と申し出。
自身が演じる役と劇的な再会を果たす兄弟犬タロとジロ役の2匹を自宅に引き取って飼育。
撮影後も「もう厳しい環境には戻せない」との理由で飼い続けた。

「初めての南極観測」の概要
「昭和32年2月15日より昭和33年2月11日まで南極観測隊 第一次越冬隊に協力した樺太犬の霊の為に・・・
昭和32年(1957年)日本が初めて南極観測に参加するにあたって、現地での物資輸送を目的に派遣されたのが20頭の樺太犬でした。
厳寒の南極大陸でこの樺太犬たちは、調査のために大活躍し多大な貢献をしました。
ところが昭和33年2月、初代南極観測船「宗谷」が流氷に阻まれて、動きが取れなくなりそうになり、ヘリで昭和基地の隊員を救出することになりました。
この時点では、すぐに第二次観測隊が来ることになっていたので、昭和基地にいた犬係の北村泰一さんは、犬ぞり用の樺太犬15頭の首輪をきつく締め、鎖につなぎ直しました。
でも悪天候によって、交替の第二次観測隊は来ないことが決定。
樺太犬15頭が現地にやむなく置き去りにせざるを得ないという悲劇が起こりました。
残された犬について、隊員は、連れてこれないなら、いっそ殺しに行かせてほしいと頼みましたが、事態は深刻で、それもかないませんでした。
北村さんたちは泣く泣く犬を置き去りにせざるをえなかったのです・・・
その1年後再び越冬隊が南極を訪れたとき、樺太犬タロ・ジロの2頭が奇蹟的に生き延びていたという感動的なニュースは、当時世界中に報じられました。

1958年に東京タワーが完成、その東京タワーの一角に15頭の犬のブロンズ像があります。

このブロンズ像の後には、黒い大理石に「南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像」と文字が刻まれています。


東京タワーが完成した翌年に「日本動物愛護協会」が建てた記念像なのです。
南極観測で精いっぱい生き抜いた15頭の樺太犬たちがさまざまな体形をしてみんな一緒にいるのです。

公益財団法人「日本動物愛護協会」 http://www.jspca.or.jp/


15頭のカラフト犬は足の裏から血をそりを引いて一生懸命働きました。


厳しい自然の中で、人間と犬たちは一つになって心を通わせたのです。
犬たちの助けがなければ、この南極観測の仕業はなし得なかったと言えます。

やむなく置き去りにされた15頭の犬たち・・・
それから1年後、奇跡的にもタロとジロの兄弟犬がしっかり生き抜いて、人間たちが迎えにきてくれるのを待っていたのです。



太古の昔から、犬は人間と深く繋がってともに生き絆を深めてきました。
犬たちは、私たち人間にいろんなことを教えてくれ考えさせてくれる一番身近な動物です。
しかも犬たちはけなげなまでに人間を信じる気持ちに溢れていると言えるでしょう。
勇気をもって生き抜くことの大切さ、そして人間も動物もこの地球という星に生まれ心を通い合わせることのできるかけがえのない仲間であるということを・・・


映画「南極物語」に出演の高倉健さんに続き渡瀬恒彦も亡くなられ寂しいですね。
この物語には人と犬が一体になって観測をおこなってきた軌跡が強く感じられ感動します。
また、この映画の中で流れる哀愁味ある音楽は、映画を更に感動的なものへと引き立てています。
このような映画を制作することは不可能に近いのではと思うほどです。
是非ぜひこの映画のDVDをご覧になってください。


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