死に方の選択
2017-01-25
僕は今、1匹の猫を荼毘に付した。
僕はこの猫の飼い主ではない。
飼い主は僕の母だ。
いや、母だった・・・。
なぜ過去形か、それは母もすでにこの世を去っているからだ。
* * * *
猫の名前はチャトと言う。
僕の実家の庭先に住み着いた野良猫が生んだ子だった。
母猫は子猫を生んで間も無く姿を消してしまった。
5匹の乳飲み子猫を不憫に思った母は、なんとか里親さんを探し、最後に残った子猫を自分で飼うことにしたのだ。
当時、僕は母に言ったものだ。
「野良猫の餌やりなんかしてるから、そんな目に遭うんだよ、まったくお人好しなんだから。」
そんな僕の言葉に母はこう言っていた。
「そんなこと言ったって可哀想じゃないか。親に育児放棄されて、生きていけないんだよ。見殺しにはできないよ。」
それから、この雄の子猫は僕の実家の一員となった。
名前は茶トラだからチャト、簡単なものだった。
それでも十数年、実家で可愛がられて暮らしていた。
親父も死んで、去年とうとう母も死んだ。
突然倒れ、1週間もしないであっけなくこの世を去った。
そして、実家にはチャトだけが残った。
すでに老猫となっていたチャトは、僕が引き取ることにした。
僕は一人息子で、嫁と二人暮らし。
子供もいないし、嫁もチャトを引き取ることに反対はしなかった。
チャトが我が家にやってきて数日後のこと。
仕事から帰ると嫁からチャトがいなくなったと知らされた。
実家にも行ってみたけどいなかったそうだ。
実家は我が家から歩いて5分ほどの距離。
親のことも心配だったので、近くに住んで時々様子を見に行っていた。
その後、近所を探しても見つからないまま2日が過ぎた。
もしかしたらと実家に行ってみた。
庭から微かな猫の声が聞こえた。
ちょっと薄汚れたチャトだった。
こんな近くの家に2日もかかって帰ってきたのか。
あちこち彷徨って、やっと辿り着いたんだろう。
それからも何度か脱走を繰り返すたび、チャトは必ず実家に戻っていた。
僕はチャトを無人の実家に戻すことにした。
玄関を開けると、チャトはさっと勢いよく中に入り、なんだか懐かしむように柱に体を擦りつけて、喉をゴロゴロ鳴らしていた。
それから実家に住むチャトのために、僕は毎日餌やりに通った。
仕事で行けない時には嫁が代わってくれた。
そうやって、半年近く過ぎた頃のこと。
そろそろ寒くなるし、真冬になれば氷点下まで気温も下がるから何とかしないと。
そう嫁とも話し合っていた矢先の事だった。
いつものように実家の玄関を開けてもチャトは出て来ない。
いつもはニャアと一声鳴いて、奥からゆっくり歩いて来るのに。
僕は「チャト!」と呼んで家の中に入った。
奥に行くと、どこから引っ張り出したのか、毛糸で編んだひざ掛けの上でチャトが寝ていた。
「なんだ、こんなところで寝ちゃって。」
そう思って近づいた時、眠っているように見えたチャトが、すでに息をしていないことに気づいた。
それは本当に眠っているように穏やかな死に顔だった。
よく見るとチャトが敷いているひざ掛けは母の手編みのものだった。
チャトは母の手編みのひざ掛けの上で母の元に旅立って行ったのだ。
たったひとりで・・・。
* * * *
「遅くなってごめん。」
仕事が終わって嫁が入ってきた。
チャトはすでに火葬された後だった。
「俺さ、やっぱりチャトを実家に戻さなければ良かったのかな?ちょっと後悔してるんだよね。結局、俺はこうしてチャトを見送ることしかできなかった。」
嫁はお骨になってしまったチャトに手を合わせ、それからゆっくり僕を悟すように話した。
「そうね、でもどうすることがいちばん良かったのかなんて、誰にもわからないんじゃない?大事なのはチャトが何を望んでいたのか。それも私たちにはわからない。ただ、もし自分がチャトだったら、どうして欲しかったのか、それを考えて決めたこと。正解も不正解もない、私はそう思うよ。チャトは慣れ親しんだあの家を死に場所に選んだんだよ、死に方の選択をしたんだよ。だってあの家で生まれ、あの家で育ったんだものね。その最後の選択を私たちが納得して、見送ってあげた・・・それで良かったんじゃないかしら。今頃は天国でおはあちゃんの膝の上で、満足そうにゴロゴロ喉を鳴らしていると思うわ。」
小さな骨壷を抱え火葬場を出ると、頭上からちらちらと粉雪が舞ってきた。
僕は思わず小さくなってしまったチャトをギュッと抱きしめた。
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温もりのメッセージ「死に方の選択」
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