「殺処分ゼロ」の盲点
2016年7月30日(土) 杉本彩さんのブログより
人間の都合による無益で身勝手な動物の殺処分は、絶対にあってはならない。
だから、「殺処分ゼロ」をめざすことは、当たり前のことである。
そこに反論する人はほとんどいないだろうし、「殺処分ゼロ」を発信することにはなんのリスクもない。
むしろ、この発信には誰にとってもメリットしかないと言えるだろう。
だから、政治家の選挙の公約として利用されやすいことは確かである。
ゆえに、私たち動物愛護の発展を願う有権者は冷静にならなければならないと思う。
「殺処分ゼロ」を公約として上げている候補者が、ゼロにするために必要なこと、問題の本質を理解して公約としているのか・・・そこが注意すべき点である。
まず、ゼロをめざすためには、無責任な飼育放棄をさせてはいけない。
現状の、乱繁殖による大量の動物の生産と供給、そして無責任な販売は、消費者である飼い主の飼育放棄の大きな要因となっている。
だから、安易で無責任なペットの購入をうながす現状のペットビジネスへの規制はマストなのだ。
それを踏まえて「殺処分ゼロ」という公約を立てているのか・・・。
ペット生体販売の業界や、その風下にいて利益を得ている業界や企業から献金を受けていないのか、ペット業界と密接な関係ではないか、ということを、私たちはしっかり見て判断しなければならない。
昨今は、ペット生体販売の業界までもが「殺処分ゼロ」と発信しているのだ。
しかし、この言葉の裏側には、政治家も業界もそれぞれの思惑があることを考えなければならない。
政治家が、業界との密接な関係があるかぎり、ここに積極的にメスを入れるとは思えない。
それよりも、「殺処分ゼロ」がたとえ公約になかったとしても、動物の命の尊厳について理解してくれるであろう人間性と、業界と無関係であることを重視したいと思う。
もちろん、公約が「殺処分ゼロ」という当たり障りのないぼんやりした表現でなく、「殺処分の行政業務を廃止します!」なら話しは別。
両者は似てまったく非なるものである。
「廃止」なら迷わず拍手を送るだろう。
そして、「廃止」という英断のできる政治家なら、間違いなく業界への規制を行うはず。
供給の蛇口が緩みっぱなしでは大変なことになるでしょうから。
また、私たちのめざすべきものは、「殺処分ゼロ」ではなく、「無責任な飼育放棄ゼロ」の社会だということも忘れてはいけない。
それがゼロに繋がるのだ。
最近では、「殺処分ゼロを達成した」という自治体も少しずつ現れてきているが、「殺処分ゼロ」が問題解決のゴールなわけではない。
数字だけで単純に評価するのはとても危険である。
・行政が引き取りを拒否すれば殺処分はゼロ
・積極的な殺処分をせず、どんな不適切な環境であろうと生かしておけば殺処分はゼロ
・動物愛護団体が受け皿になって引き取れば殺処分はゼロ
また、行政の数字にカウントされない流通過程での処分や衰弱死の数字があることも忘れてはいけない。
これでは、ゼロを達成したからと言って、その都道府県の動物愛護や福祉が改善し向上したとは言えない。
問題の根本の解決にはなっていないのだ。
このことについて、24年間ロサンゼルスに住み動物病院で仕事をされていた西山獣医師が、とても的を射た発信をしておられますので、是非ご一読ください!
https://www.facebook.com/dryukonishiyama/posts/4
杉本彩さんのお言葉にはいつも深みがあります。
「殺処分ゼロ」という言葉がよく使われている社会になりましたが、決して表面的なものであってはならないのです。
「殺処分ゼロ」ではなく、「無責任な飼育放棄ゼロ」の社会だということ・・・
私たち動物愛護ボランティア活動を行う者は常にこれを肝に銘じて活動することが本来の目標達成につながっていくのです。
(Fuita)
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殺処分ゼロの盲点(杉本彩さん)
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