戦後70年 戦争中犬猫供出 タマは毛皮になったのか
2015年08月12日 毎日新聞
高島誠代さん
兵隊用防寒コート。後ろ身ごろの裾内側の一部に犬の毛皮が使われている。
=福岡県嘉麻市の碓井平和祈念館提供
高島さんの手元に唯一残る愛猫「タマ」(右奥)との写真=高島さん提供
犬の献納運動を呼びかける隣組回報=東京都八王子市郷土資料館提供
おすまし顔の女の子と脇で遊ぶ猫がほほ笑ましい1枚の古い写真。
「私の1歳の誕生日の写真です。生まれたときから猫のタマはそばにいました。最期まで一緒にいられると思っていたのだけれど・・・」。
大阪府八尾市に住む高島誠代(のぶよ)さん(82)は今もやりきれなさを抱える。
●「兵隊さんの役に」
高島さんが岡山県讃甘(さのも)村(現美作市)の国民学校3年生だった1942年夏、役場からの「猫の供出」指示により、タマとの別れは突然訪れた。
「役場の人は『氷点下40度にもなるアッツ島を守る兵隊さんのコートの裏毛になる。お国の役に立つめでたいことだ』と言っていた」と振り返る。
同村で酪農を営んでいた高島さんの実家では、ネズミから飼料を守るためタマを飼っていた。
白黒のメス猫で、高島さんのかけがえのない遊び相手だった。
「おばあさん猫になり、いつも暖かなかまどのそばで寝ていた。呼んでも『ニャー』と答えるだけ。かわいかった」と笑う。
タマが毛皮になるために殺されるなんていやだった。
可哀そうで、何とか隠せないかと母親に懇願した。
しかし母親は「お国のお達し。逆らうと憲兵が来る」と反対。
高島さんは近所の神社に行き、隠れて思い切り泣いた。
「憲兵には言うに言えない怖さがあった。悲しさを通り越し、悔しさでいっぱいだった」。
神社から帰った時には家にタマの姿はなかった。
「父が役場に連れていったようですが、何も言えませんでした」。
父親は徴兵検査の結果、召集されなかった。
「学校で『あなたのお父さんは戦争に行ってない』と言われると、肩身が狭い時代だった」と語る。
●無駄飯食いの批判
戦時中、物資難の深刻化と共に金属類の生活用品にとどまらず、飼い犬や猫までもが供出の対象となった。
「帝国議会衆議院委員会議録昭和篇114」(東京大学出版会)によると、日中戦争さなかの40年には、不足する食糧や皮革の対策として、軍用犬以外の犬猫の撲殺が提案されている。
長引く戦争によって、「無駄飯食い」としてペットの不要論がはびこる。
44年12月17日付毎日新聞には「犬すべて供出と献納 皮革は重要な軍用資源に」の見出しで、軍需省が翌年3月まで供出運動の全国展開を決めたことを伝えている。
犬の皮革の用途に、航空帽や飛行服、防寒用具などを挙げる。
また、狂犬病の根絶や空襲時の犬害予防、食糧事情の緩和も目的に掲げる。
対象は軍犬や登録猟犬、警察犬、天然記念物の指定を受けた飼い犬以外だ。
当時の記事を読むと、放浪犬の激増による犬害の事実もあるようだが、飼い主のペットへの思いを「小乗的な愛情」と捉え、「お国のため」と供出を強く迫る世相が読み取れる。
同時期の隣組回報は「勝つために立派な忠犬に」とうたい、「何が何でも」と飼い犬の献納を呼びかける。所蔵する東京都八王子市郷土資料館によると、約200匹の犬が供出されたという。
また北海道庁公報には、各自治体や警察署などに向け、飼い犬だけでなく猫の毛皮の供出の割り当てが掲載されている。
●すべて活用か疑問
「犬やねこが消えた」(学習研究社)の著者で、動物の供出に詳しい児童文学作家の井上こみちさんは「北海道では44年度に犬皮1万5000枚、猫皮4万5000枚を集めた記録がある」という。
ただ、供出の時期や取り組み具合は地域により差があったようだ。
「確認できる資料は少ない。東京都内の供出作業に関わった元警察官の男性に聞いた話では、戦後すぐに処分したとのことだった」と話す。
近所の山中で大量の犬の死体を見たと証言した栃木県の男性もいるという。
「供出後、全ての犬や猫の毛皮が役立てられたか疑問が残る」と井上さん。
犬の毛皮を使った兵隊用防寒コートは実在はする。
福岡県嘉麻市の碓井平和祈念館が展示する。
同館によると「コートの後ろ身ごろの裾内側の一部に犬の毛皮が使われている」という。
ただ、毛皮の犬種など詳細は分からない。
猫の毛皮については、取材の中では見つからなかった。
動物と人間の関係史を研究する早稲田大学文学学術院の真辺将之准教授(日本近現代史)は「飼い犬や猫の供出は実質的な必要性よりも、人間でさえ生活に困る中で国民の鬱憤のはけ口や、国への貢献度の誇示、忠誠心の引き締めに用いられたのではないか」と語った。
タマを供出した高島さんは戦後になって、友人が家の離れに猫を隠し供出を逃れたことを知り、ショックを受けた。
「タマがどうなったかは分かりません。ただ、供出から約10カ月後、アッツ島の日本軍は玉砕しています」。
結婚後、猫や犬と暮らしてきたが、今はいない。
「年齢を考え、最期まで一緒にいてやれないかもしれないから」
タマのことが、なおさら思い出される今日このごろだ。
【池乗有衣】
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戦争中、タマは毛皮になったのか
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