保護猫事業で見た「社会の闇」ゴキブリ屋敷の飼い主と犬猫、犯罪者のペット…
2022年9月29日(木)
ゴミ屋敷にいた十数匹の野良猫、精神を病んだ飼い主が飼う複数の犬と猫たち、殺人現場となった部屋に取り残された猫…。
保護猫事業に関わるようになってから、さまざまな猫たちに出会ってきた。
それはさまざまな境遇を持つ飼い主たちとの出会いでもあった。
保護猫事業からは間違いなく現代の世相が見える。
目の当たりにした一端を紹介してみたい。
(一般社団法人CAT’S INN TOKYO代表理事 藍 智子)
◆原点は子ども時代の無力さと震災
保護猫事業とは、さまざまな理由から飼い主がいない猫を保護し、新しい飼い主のもとに譲渡する事業だ。
こう説明すると簡単なようだが、生き物の命を預かる仕事であるため、当然そこにはさまざまな問題がある。
さまざまな飼い主がいて、無責任な人もいれば、同情するような境遇の人もいる。
最初に、私が保護猫事業に関わるようになった経緯について簡単に書いておきたい。
幼少期から、猫に限らず生き物全般が好きだった。
その一方、両親は動物が好きではなく、私が子犬や子猫を拾ってくるたびに「元のところに返してきなさい」と言うような家庭であった。
無力な子どもだった私はそれに従うしかなかったのだが、そういったことへのざんげの気持ちが根幹にあるように思う。
「大人になったら、捨て犬捨て猫を全部拾おう!」と漠然と考えていたことを覚えている。
大人になって猫を飼うようになり、東日本大震災の1年前には初めて犬も飼い始めた。
そして迎えた震災。ネットで、福島第一原発事故により避難した被災者の声を取り上げたニュースを見て震撼した。
「犬をつないだまま避難している。何とかしてほしい」。
ニュースが配信されたのは2011年3月30日で、震災から3週間近くたっていた。
もしもうちの犬がひとりぼっちでそんなことになっていたら…と想像するだけで恐ろしく、飼い主である被災者の心痛が耐え難く、思いつく限りの物資を車に積んで、福島県沿岸部の避難区域へ向かった。
それが全ての始まりだった。
福島沿岸部の道という道は大きな亀裂ができ、のみ込まれるように車が落ちていた。
放たれた犬や牛たちは、群れを作って町中をさまよっている。
家々には犬小屋につながれたままの犬や、室内に残されたままの犬や猫が数多くいた。
窓ガラスを割って救出すべきなのか、飼い主が戻ってくるのか。
見極めるのが難しく、都度苦しい決断を迫られた。
家主に連絡がついても、全てを失った被災者は、魂をも失くしてしまったかのように力なく「放っておいてください」と言った。
しかし、その後の展開が私の将来を大きく変えた。
◆飼い犬と再会し声を上げて泣いた夫婦
近所の人からの情報提供を元に、2011年4月半ばにロッキーというシェットランド・シープドッグを保護した。
福島第一原発から3キロほどの民家だ。
電話で飼い主に犬の無事を知らせ、鳴き声も聞かせたが「そうですか」と興味がないかのようだった。
そのまま東京に連れ帰り、近所の犬の訓練校にお願いして置いてもらった。
後日、都内に避難している飼い主ご夫妻が面会に来ることになり、私も立ち会った。
すると、ご夫妻は号泣しながら私にこう言ったのだ。
「あなたを信用していなかった。(電話での対応は)申し訳なかった。私たちは、家も仕事も財産も故郷も失った。でもロッキーが戻ってきた。生きる希望をありがとうございました」
私は犬を助けただけだったが、人の心の一助になったようなこの体験は強烈だった。
泣きながら何度も何度もお礼を言われるなんてことが、リアルな人生の中であるなんて。
「役に立てた」という自己肯定感もさることながら、動物保護は誰かの人生に大きく関わることだと認識した瞬間でもあった。
その後も、捜索依頼のあった犬や猫を見つけては飼い主に戻し続けた。
「ありがとう」と喜ぶ飼い主の姿を見られるやり甲斐と、過去の自分への贖罪と、理由は半々であった。
◆増える保護猫、足りないペット可賃貸
初めは順調だったものの、次第に福島から連れ帰った犬猫は預かり先・譲渡先に行き詰まるようになっていった。
特に猫は数も多く、深刻だった。
行き詰まりの理由の一つが、ペット可の賃貸物件数が圧倒的に市場に足りないというものだった。
「ないなら作ろう」と、2014年、猫専用を銘打った不動産会社を仲間と立ち上げた。
猫専用にしたのは、福島から来る大量の猫を念頭に置いてのこと。
猫を社長としてキャラクター化した戦略はメディアに面白がられ、事業は順調なスタートを切った。
ところが、不動産事業で扱った店舗にトラブルが起き、猫カフェを始める予定だったテナントが退去してしまった。
穴をあけてしまうのも悔しいので、自分で里親募集型の保護猫カフェをやってみることにした。
それが猫という沼への入り口だった。
何の計画もなくヨロヨロと始めた保護猫カフェだったが、少しずつ認知度も上がり、譲渡数も増えていった。
それと並行して猫にまつわるさまざまな相談が寄せられるようになった。
一般の人だけでなく、福祉関係の事業者や行政から来る相談は重いものも多く、さながら“よろず相談所”のようだ。
そこから見えてきたものは、社会のセーフティーネットからこぼれ落ちた人々の存在であった。
日頃私たちが見ている景色にはいない人たちである。
◆ゴミ屋敷は猫屋敷!家主が突然倒れた
最初にオープンしたお店の近くに、有名なゴミ屋敷があった。
気にはなっていたが、どうアプローチしていけば良いかわからずにいたら、ある日、ゴミ屋敷の家主・Mさんに声をかけられた。
それがきっかけで、彼と話をするようになった。
少しずつ信頼を得るようになり、彼が世話をしていた地域猫12匹の避妊去勢手術を完了することができた。
Mさんはその後心不全で倒れて入院。
しかし、素行が悪いと入院先を追い出されてしまった。
自宅のゴミの海の中で倒れていたところを私とスタッフで引っ張り出し、救急車に乗せて別の病院に入院させたが、最終的には帰らぬ人となった。
彼のせいではない、いろんなことに翻弄され、生きてきたMさん。
要塞のようなゴミ屋敷は、彼の心のバリケードだったのだろう。
心配していたMさん宅に出入りしていた地域猫たちは、Mさんがこの世を去ったらさっさと別のエサ場に移動していった。
なお、地域猫とは、地域住民やボランティアなどが決まった時間に給餌し、糞尿の始末や不妊手術をしている管理された猫のことである。
「猫は地域に暮らす生き物」として、一代限りの命を地域住民で見守り全うさせようという行政と連携した取り組みだ。
Mさんが気にかけていた猫たちも、板橋区保健所の指導・協力を仰ぎながら進めていたもので、子猫は全頭引き上げたが、成猫たちは不妊手術済みの証の耳カットを入れ、今も地域に生きている。
◆犬と猫とゴキブリ屋敷、壮絶な状況とは
重度の統合失調症を患っていたIさん(40代女性)は、よく私に電話をしてきた。
猫3匹、犬2匹を飼っていると言うが、現実と妄想の世界を行ったり来たりしているような会話の内容から、飼育環境が良くないことは想像できた。
ある日、生活保護課の彼女の担当者から電話があり、Iさんが入院したと聞いた。
同じく生活保護受給者で透析患者である彼女の母親が、残された犬猫の世話をしているという。
時は12月。
嫌な予感がして、担当者と駆けつけたが案の定、ミニチュアピンシャーが寒さと飢えで死んでいた。
もう1匹のポメラニアンは保護活動を行っている団体に託し、猫3匹は動物病院に入院させ、Iさんには犬猫の所有権を放棄してもらった。
自宅はゴミ屋敷ではなかったが、ゴキブリ屋敷だった。
数万単位と思われるチャバネゴキブリが、どこもかしこもびっしり。
退院したらきれいな部屋で衛生的に人生をやり直せるよう、清掃を受託して私とスタッフで特殊清掃に近いハウスクリーニングを行った。
そして彼女は無事退院した。
Iさんの犬猫たちも全頭里親が決まり、安堵したのもつかの間。
深夜に携帯が鳴った。
Iさんのお母さんからだった。
居住していたマンションの5階から、Iさんが飛び降りたという。
遺体は警察に安置されているというので、お母さんを車で迎えに行って、警察署に向かった。
遺体はきれいだった。
何度も自殺未遂をしていたIさん。
やっと安らかに眠れたのだろうか。
◆犯罪容疑者のペットたちの世話をする弁護士
犯罪容疑者にも動物好きはいる。
基本的に犬猫は所有物扱いなので、留置所にいる飼い主とのやりとりは弁護人が間に入る。
とある殺人事件の現場となった猫2匹の家庭の場合、飼い主の一人が加害者で、もう一人が被害者だった。
つまり、どちらもいなくなってしまったのである。
弁護人となった若い弁護士が、現場に通ってはトイレの世話と給餌給水をやっていた。
それを見かねた猫好きの別の弁護士が、獣医師経由で私に相談してきた。
猫たちは避妊手術済みのシニア猫で、幸いおとなしくていい子だった。
かわいがられていた証拠だろう。
裁判も刑期もいつまでかがわからないのと、容疑者である飼い主も猫たちをお願いしたいとの意向だったため、所有権放棄の書類に署名をもらい、猫たちはうちで引き取った。
◆子猫を飼い始める高齢者も
飼育放棄や引き取り依頼の事例で多いのはこんなケースだ。
・ペット不可の賃貸で猫を飼っていたが、見つかって猫を手放すように言われた
・どもが猫アレルギーを発症し、主治医に猫を手放すように言われた
・猫を保護したが先住猫がいるからうちでは飼えない
・自宅の敷地で野良猫が子どもを産んだ
・高齢の飼い主が亡くなった/入院した/施設に入った/認知症になった
どの人も“猫を飼えない理由”を次々畳みかけてくる。
それに対して「こうすればいいのでは」という対策を提案しても手放す意向は変わらず、会話は平行線で解決にはならない。
飼育放棄で多いのが、高齢者のペットだ。
80代から小さな子猫を飼い始めたケースが後を立たない。
寂しさから猫を飼ってしまうのだろうか。
高齢者ほど子猫を欲しがるという傾向があるそうだ。
猫の寿命は意外と長く、近年では20~25年くらい生きることが多いが、残された猫について考えている人には出会ったことがない。
猫にお金を残した事例も、私のところでは今のところない。
中には法定相続人が動物病院に「安楽死してほしい」と犬猫を連れて来るケースさえあった。
◆人の幸せあってこそ、ペットの幸せがある
たくさんの事例から見えてきた、要見守りの人物像としては、60~80代男性一人暮らし、猫の多頭飼育、汚部屋・ゴミ屋敷、慢性疾患あり…このような場合は、倒れてから近所の人などが「猫が取り残されている」と相談してくることが多い。
利用しているデイサービスの職員の方が連絡してくるケースも少なくない。
同様に多いのが、敷地内で野良猫にエサやりしていたら、ある日子猫を連れてきたという相談。
厳しい言い方かもしれないが、知識と想像力が足りないケースだ。
これは60歳前後の女性に多い。
犬猫などのペットは人間に従属するものである。
人間の幸せ抜きに猫だけが幸せになることは難しい。
私はそもそも人道支援としての災害地動物レスキューが保護事業の入り口だったが、その考え方は正しかったと感じる。
多くの課題がまだ残されている猫の保護事業。
行政や福祉事業者などとの連携が急務だ。
藍智子
一般社団法人
CAT'S INN TOKYO(キャッツイン東京) (cats-inn.tokyo) 里親募集型保護猫カフェ