「ドリームボックス」という名のガス室へ・・・
捨てられた犬や猫の最期とは 殺処分を逃れても待ち構える苦難
【杉本彩のEva通信】
2022年3月5日(土) 福井新聞ONLINE
行政による犬猫の殺処分には、多くの人が心を痛めています。
彼らがどんなにやさしくて、どれほど豊かな感情があるかを知っていると、なおさら心が痛みます。
殺処分は、ドリームボックスと呼ばれる箱の中で、二酸化炭素ガスを充満させ窒息死させるやり方です。
当然ですが、苦しんで死にます。
殺処分される犬は、自動で移動する檻の壁に追いやられ、ドリームボックスの中へと強制的に追い込まれていきます。
猫は、小さなケージに入れられた状態で、そのままガス室送りになることもあります。
感受性豊かな彼らが恐怖を感じないわけがありません。
殺処分は、犬猫にとって苦痛と恐怖が伴う死で、安楽死ではありません。
そしてガス室のボタンを押す人の心にも、大きな負担を強いる辛い作業であることは確かです。
環境省の「動物の殺処分方法に関する指針」に従い、できる限り動物に苦痛を与えない方法によって殺処分を行うことが求められています。
ですから昨今では、この方法を見直す自治体も増えてきました。
注射による安楽死やフードに致死量の麻酔薬を混ぜる安楽死など、苦痛の軽減に努める自治体もあります。
犬や猫の殺処分に使われる「ドリームボックス」と呼ばれるガス室
■法改正の副作用
とはいえ殺すことに変わりはなく、人間の身勝手な都合で殺される命を思うと、必要悪とは言うものの、その罪深さを感じずにはいられません。
このような現状に心を痛め、一つでも多くの命を救いたい、そんな思いで動物保護施設から犬や猫を迎える人も少なくありません。
環境省の統計によると2010年には犬猫の引取り数は約25万頭でしたが、その10年後の2020年は約7万2千頭とその数は年々減少しています。
しかし、これは手放しに喜べることではありません。
2012年の動物愛護管理法の改正で、動物の飼い主には、終生飼養の努力義務が定められました。
それ以前は、飼い主の勝手な都合で持ち込まれることも非常に多くありました。
また、事業者にも「販売の用に供することが困難となった犬猫等についても、終生飼養の確保を図らなければならない」と法律に明記され、終生飼養が義務付けられました。
こうして法改正により、自治体は事業者と一般飼い主から引取りを求められた場合も、やむを得ない事由がないかぎり、引き取りを拒否できるようになりました。
行政の施設に入ってくる犬猫の数が圧倒的に減ったことで、「殺処分ゼロ」の達成は、さほど困難ではなくなったのです。
しかし重要なのは、行政から引取りを拒否された犬猫たちが、救われ幸せになったわけではないという問題です。
業者にとっては不用品、衝動買いした一般飼い主にとっては手に余るお荷物ですから、そんな人たちに、最後まで面倒見なさいと突き返したところで、当然、犬猫は幸せになれません。
まだまだ未整備である動物愛護管理法が改正され、一歩ずつ前進するのは素晴らしいことですが、法改正にはいつも副作用が生じます。
12年の法改正による新たな問題として発生したのが、引取りを拒否された業者による犬の大量遺棄でした。
河川敷や山間に遺棄された犬はほとんどが死骸でしたが、中には生きた犬たちが遺棄された事犯もあります。
ペット業者は、自治体という不用犬猫を都合よく処分してくれる受け皿を無くしたことで、その代わりの受け皿を必要としていました。
そこで「引取り屋」という業者が現れ、不良在庫となった犬猫、繁殖能力がなくなった犬猫を、1匹数千円から数万円もらって引取っていました。
そして、劣悪な環境下で小さな檻に閉じ込め、充分な給餌給水もせず、病気になってもお金のかかる医療は与えません。
生殺しの生き地獄です。
引取り屋とは要するに、犬猫を対象にした産業廃棄物処理業や不用品回収業と同じ。
このように行政にカウントされない闇の中の死があります。
■収容せず丸投げ
また、殺処分数の減少を手放しに喜べない理由はこれだけではありません。
行政の動物愛護センターから、収容されている犬猫を、民間の動物保護団体が引き取っているからです。
センターに収容される犬猫に里親が見つからず譲渡されないで留まると、収容可能な頭数を越えてしまいます。
そのため、殺処分せざるを得ない状況となります。
こういうキャパオーバーが理由の殺処分を回避するために、民間の動物保護団体に譲渡されます。
しかし、移動先のその動物保護団体の施設の中で不適正飼養や虐待により、命を落としているケースもあります。
当然、その数も殺処分数にはカウントされていません。
もちろん譲渡先の動物保護団体が、適正飼養と里親への丁寧で責任ある譲渡をしていれば、なんの問題もありませんが、中には保健所から引き取った犬猫を横流しして、たくさんの犬猫を救っているように見せかけ、SNSで活動をアピールしているケースもあります。
以前にも、ペット事業者から犬猫を仕入のように引き取る、「下請け愛護団体」の問題をこのコラムに書きましたが、団体への賞賛と寄附はセットのようなものなので、このような悪質なことも起こり得るわけです。
自治体にしてみれば、収容頭数を減らすと自ずと殺処分数も減るので、団体に丸投げすることで容易に良い結果を得られます。
団体に譲渡した犬猫がどのように扱われているか、またその先で適正な譲渡がなされたのか、行政は把握していません。
収容頭数を減らしたい行政と、保護頭数を増やしてアピールしたい団体との利害が一致するのです。
本来なら、団体の譲渡活動の質や、犬猫の幸せに目を向け、自治体も責任ある団体譲渡をすべきでしょう。
「殺処分ゼロ」であってほしいのはみんなの願いですが、この数字が、必ずしも犬猫たちの幸せに結びついているとは言えません。
ですから、「殺処分ゼロ」を単純に自治体の評価基準にするのは危険なのです。
もちろん、自治体から善良な活動をする団体へ、適正な犬猫の譲り渡しによるサポートは重要で、それがあるからこそ救える命や保てる福祉があります。
しかし、誠実にそれをしている団体の苦労は大変なものです。
飼育スペースの確保や、新たな飼い主となる里親探しのための労力と時間、そしてお金の負担が大きくのしかかってきます。
団体が適正飼養できる頭数の限界を越えてしまうと、犬猫は劣悪な環境下に置かれ、適切な医療を与えることもできません。
さらに、里親への譲渡においても丁寧さを欠いてしまうことが懸念されます。
早く譲渡しなければという気持ちが先走ると、里親の審査が甘くなりがちです。
大切にしてくれる里親でなければ幸せにはなれませんし、虐待目的の詐欺にあう危険性もあります。
救った命を不幸にしないよう、これらを踏まえた丁寧な活動が求められます。
「殺処分ゼロ」の影
【杉本彩のEva通信】
昨今、「殺処分ゼロ」を目標に掲げる自治体が増えました。
そして、「殺処分ゼロ」を達成したと発表する自治体もあります。
しかし、動物保護団体がそのゼロをぎりぎりのところで支えているに過ぎません。
その団体の施設が、ストレスなく暮らせるよう動物福祉に配慮し、適切な医療を与え、丁寧な譲渡をして犬猫たちが幸せになっているならいいのですが、残念ながらそうとはかぎりません。
「殺処分ゼロ」の評価に、自治体も保護団体も固執し、それを維持するために「ゼロ」という数字を追いかけます。
その結果、ある民間施設では県の動物愛護センターから引き取った犬が常時約数千頭以上も雑居房の中に過密に収容され、そのストレスから常同行動をしたり、強い犬が弱い犬を噛み殺すという悲惨な事件も発生しました。
収容されている犬の多くは人馴れしていない野犬で、怪我をしても適切な治療をされず、医療ネグレクトの状況下にありました。
また、多頭飼育の管理の基本的な考え方では、全頭に不妊・去勢手術をして不用意な繁殖や闘争を防ぐことは基本ですが、この施設では不妊・去勢をしないため度々子犬が産み落とされ、挙げ句の果てに無残な死をとげていました。
このような状況下では個体識別もままならないので、法律で定められた狂犬病予防接種もされていませんでした。
その実態が明らかになり、狂犬病予防法違反と動物愛護法違反で書類送検されたほどです。
この団体は「ふるさと納税」で潤沢な資金を手に入れ運営しています。
最近はふるさと納税を活用して資金調達をする動物愛護団体が増えました。
民間団体に納税という公費が入るなら、その団体がそれに相応しい団体であるのかを評価する厳格な基準があるべきです。
しかし、このような基準は今のところ存在しません。
要するに、「ふるさと納税を受ける」イコール「信頼できる団体」とは一概に言えないため、寄附する側も慎重であるべきです。
そうでないと、「殺処分ゼロ」のために、酷い環境下でいたずらに苦しみを長引かせているだけで、動物の視点にたったとき、生きていることが幸せとはとても思えない状況です。
このような保護団体によるネグレクトや虐待の実態が、各地で度々問題になり告発されています。
犬猫の引き取りを行なう団体の施設がどのようなものなのか、適正飼養と丁寧な譲渡がなされているのか、それらを正しく判断せず、団体に無責任に譲渡する自治体。
これらは、「殺処分ゼロ」という数字だけを追いかけている歪みと言えるでしょう。
このような背景が「殺処分ゼロ」を支えているとわかれば、たとえゼロを達成したとしても、喜ぶことはできません。
◆行政施設の環境にも問題
また、民間団体だけでなく行政の施設の環境にも問題のある場合があります。
もともと動物管理センターは、狂犬病予防法に伴なう殺処分のための抑留の施設でした。
それが時代の流れとともに動物愛護の気運が高まり、殺す施設から生かす施設へと移行を始めました。
しかし、老朽化した抑留施設には、空調設備がないこともあります。
夏は息苦しいほど暑く、冬は凍てつくような寒さです。
床からの冷えを防ぐすのこさえ敷いていないこともあり、冷たく硬いコンクリートの上で何もすることのない退屈な日々を強いられます。
また、たとえ疾病があっても治療されないこともあります。
臨床経験のある獣医師が配属されていないことや、予算不足で治療が行なえないなどいくつかの理由があります。
ゼロを達成した行政施設内でも、かつては犬猫のストレスによる同じ動作を反復する常同行動を見ることがありましたし、力なくうなだれている姿と諦めたような悲しい目を見ると、「殺処分ゼロ」を単純には喜べませんでした。
どんな過酷な状況で苦しんでいようと、とりあえず生かしておけば「殺処分ゼロ」ですから。 また、「殺処分ゼロ」の対象とするのは譲渡が可能な犬や猫だけです。
衰弱や病気、強い攻撃性があるなど何かしらの理由で譲渡不可とされ処分された犬猫はゼロの対象外です。
「殺処分ゼロ」を達成したと発表しても、施設内で死んだ犬猫は数百頭いたということもあります。
その詳細はどのようなものなのか、その真相は実際のところわかりません。
そもそもどのような理由でセンターに入ってきたのか?必要な治療をされていたのか?処分せざるを得ない病気だったのか?その方法は安楽死だったのか?譲渡不可となった理由に人の都合が介入していないのか?このように、福祉の観点で行われたものなのか、数字というものは、いくらでも都合よく操作できるので、その詳細が不明なままでは評価などできません。
近年、動物愛護センターを新設する自治体も増え、犬猫が管理される環境が改善されつつあります。
治療が必要な場合は施設内で行なうようになったり、地元の動物病院との連携を図ったり、状況はずいぶん改善させているように思います。
ですが、いくら立派な設備が新設されても前述にあるようセンターへの引取り拒否をしていたら立派なセンターはガラガラ、最新の設備は宝の持ち腐れです。
昨今、「殺処分ゼロ」は選挙の公約にされたりすることが増えました。
もちろん、動物愛護の気運の高まりがあるからですが、命に対することは、政治思想に関係なく多くの人から共感を得やすいからでしょう。
しかし、その根本の問題や背景を理解せず、また本当の問題から目を反らしながら公約にしていることがほとんどです。
そうして益々、「殺処分ゼロ」という言葉が一人歩きし、美化され、誤解されたまま広がっていく。
「殺処分ゼロ」は、あくまでも結果であり、目指すべき目標ではありません。
本当に動物たちの命を思い彼らの幸せを願うなら、「無責任な飼育放棄ゼロ」「無責任な命の売買ゼロ」を目指すべきなのです。
そのためには、動物福祉を重視したペットビジネスの変革や、消費者の意識改革も不可欠です。
そろそろ「殺処分ゼロ」の弊害と、問題の本質にしっかり向き合っていくべきだと思います。
(Eva代表理事 杉本彩)
※Eva公式ホームページやYoutubeのEvaチャンネルでも、さまざまな動物の話題を紹介しています。
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杉本彩さんと動物環境・福祉協会Evaのスタッフによるコラム。
犬や猫などペットを巡る環境に加え、展示動物や産業動物などの問題に迫ります。
動物福祉の視点から人と動物が幸せに共生できる社会の実現について考えます。
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