「ケージの中で10年過ごす犬は…」
日本中のボランティアが頼る理由“杉並の先生”が無私で犬や猫を助けつづける
2021年7月22日(木) 文春オンライン
コロナ禍で孤独を感じ、犬や猫を飼う人が増えている。ペットの存在は、生活にうるおいを与えてくれる。
一方で、飼いはじめたものの面倒を見切れなくなって保健所に「引き取ってほしい」と持ち込んだり、路上に遺棄されるケースも急増している。
不妊手術を受けずに捨てられた猫が子どもを生み、問題になっている地域もある。
◆「困ったら東京の杉並の先生に」
太田快作氏 ©積紫乃
ボランティア団体などが遺棄されたペットを保護して引き取り手を探す譲渡会などを開いてはいるが、保護したあとの治療や日々の世話の負担は重い。
これらの活動や啓蒙もあって、1989年には100万頭を超えていた殺処分も2019年には3万頭ほどまで減少している。
そんなボランティア活動の人たちの間で「困ったら東京の杉並の先生に」という言葉が合言葉になっているという。
彼らが頼る“杉並の先生”とは、獣医師・太田快作氏のことを指す。
太田氏は東京都杉並区にあるハナ動物病院の院長で、「動物に関する依頼は断らない」と明言しており、野良犬猫の保護グループや飼い主から絶大な信頼を寄せられる駆け込み寺のような存在だ。
◆必須科目だった「外科実習」に異議を唱える
太田氏が信頼を寄せられる理由の一端が、学生時代のエピソードにも表れている。
太田氏は高校2年生のときに将来の目標を獣医師と決め、北里大学獣医学部に入学した。
そして大学在学中、太田氏は前例のない行動に出る。
必須科目だった「外科実習」に、真っ向から異議を唱えたのだ。
外科実習とは生きた動物を実際に手術する授業で、対象の動物は実習後に安楽死処分になる。
動物を救うために獣医師を目指しているのに、目の前の動物を殺していいのだろうか。
そんな疑問をぶつけても教授たちは取り合わず、「外科実習が必要なのは当然」という態度だったという。
◆犬や猫の保護活動をするサークル「犬部」を創立
それでも、太田氏は諦めなかった。
独力で海外の研究を調べ、欧米の大学ではすでに一般的だった「動物実験代替法」にたどり着いた。
生きた動物ではなく人工的に培養した皮膚などで外科実習を代用する方法を主張し、最終的に大学もそれを認めて太田氏は2006年に無事卒業した。
さらに実習に利用される犬の劣悪な飼育環境を改善する活動をはじめ、犬や猫の保護活動をするサークル「犬部」を創立。
この話は、7月22日に公開される映画「犬部!」の原案となったノンフィクション 「犬部!」(片野ゆか著・ポプラ文庫) に詳しい。
太田氏の「動物のためであれ、命をすべて救いたい」という思いは、当然「殺処分ゼロ」にもつながっている。
ハナ動物病院の病院名も、学生時代に保健所から引き取り、犬部設立の足掛かりともなり、18歳までともに過ごした犬の名前「花子」に由来している。
太田氏は、保護団体などが保護した猫の「TNR」活動(Trap-Neuter-Returnの略。野良猫を捕獲して、去勢・不妊手術をして元の場所に戻すことで増えすぎるのを防ぐ活動)にも積極的に携わっている。
依頼があれば関東各県に出向いて犬や猫の譲渡活動の手助けもしているので、休日のほとんどが埋まっているという。
東日本大震災の原発事故で置き去りにされた犬や猫の保護も、太田氏のライフワークの1つだ。
現地へ何度も赴き、手術や治療などを重ねてきた。
そんな太田氏から、福島での活動について1つだけ心から後悔していることがあると聞いたことがある。
「動物の保護のためですからお金はいただかないことにしているんですけど、一度だけ交通費をつい受け取ってしまったことがありまして……。それを今でも悔やんでいるんです」
太田氏は「被災動物の治療は基本的に無償」という原則を掲げており、交通費も自腹なのだ。
野良猫の不妊手術だけは対価を受け取っているが、「病気予防のワクチン込みでオスは3000円、メスは5000円」と一般的な病院の半分以下の価格である。
◆多くの獣医師たちへの幻滅
太田氏を突き動かす原動力の1つが、あまりに冷淡な他の獣医師たちへの幻滅である。
怪我をしている猫を保護したと連絡しても、「いやあ、うちでは引き取れません」「飼い猫じゃないんでしょ?」とほとんどの病院に診療を拒否されるのが現実だ。
つまり、高額な治療費が得られる飼い犬や飼い猫だけを相手にし、お金にならない動物は診たくないという獣医師が多いのだ。
太田氏は、友人を保護活動に誘った時のことを残念そうにこう語る。
「僕が保護活動をしているのを知っている友人に『手術しに来てくれない?』と誘ってみたんです。そうしたら、返事は『なんのメリットあるの?』でした。それがふつうの獣医師の感覚なんでしょうか。 福島に取り残された犬や猫だって、ボランティア団体がシェルターを作って保護していますが、日本全国にはすでにたくさんの動物病院があるじゃないですか。その病院が1匹ずつでも引き取ってくれれば、かなりの命が助かるはず。でも、そんな病院はほとんどありません。私にはそれが理解できないんです。子供の頃は、子猫をみつけても自分には助ける力がありませんでした。でも今なら、その命を助けられる。自分が持っている設備や能力やお金を、動物のために使わない理由がまったくわからないんです」
◆動物たちの命を助ける責任
ただ太田氏は自らの行為を「善意」だとは考えていない。
むしろ「責任」に近いものだという。
「予備校に通ったり、大学で勉強する中で、私たちは親や国のお金を使って獣医師の国家資格を手に入れました。決して自分の努力だけで今の立場にいられるわけではないと、認識する必要があると私は思います。世の中には、どれほど希望しても大学に行けない人だっている。それに私たちが獣医師として生活できているのは動物たちのおかげじゃないですか」
自分が勉強する環境を作ってくれた人が自分の周りにいたことは、運でしかない。
その環境に助けられて獣医師になった自分には、救える限りの命を救う責任がある、と太田氏は考えている。
◆決して動物を見捨てないという強い信念
太田氏は「想像力」という言葉をよく使う。
「私は妄想好きなので、犬や猫たちの気持ちを考えてしまうんですよね。飼い主に遺棄されて、保護されても引き取り手がすぐに現れる子もいれば、選ばれない子もいる。ケージの中で10年過ごす子は、いったいどんな気持ちでいるんでしょう。犬の10年は僕らの40年。野良猫だって、路上で本当に厳しい暮らしをしている子たちがいます。自分は何も悪いことをしていないのに、そんな生活を強いられている犬や猫の気持ちを想像してしまうんです」
そして太田氏を動かすもう1つの理由は、「犬や猫を助けようとする人たちの努力を目にしてきたから」だという。
「ブログやSNSで発信して、クラウドファンディングで資金を集めて活動している人たちもいますが、それはほんの一部。私の病院に来る人の9割は、目の前で苦しんでいる犬や猫を見捨てられずに家に引き取って世話をして、治療代や手術代も自腹を切っている人たち。彼らの努力を見たら、私もできることをやらなければと思うんです」
診療中の太田氏は犬や猫に優しい声で語りかけ、飼い主に丁寧に状態を説明する。
しかしその柔らかい物腰の奥底には、決して動物を見捨てないという強い信念が潜んでいる。
松原 孝臣/Webオリジナル(特集班)