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25歳のご長寿猫が教えてくれた

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25歳のご長寿猫ちたまちゃん
「生きること、死ぬことのお手本を教えてくれた」 

2019年9月29日(日) ディリー

千葉県在住の伊東昌美さんと夫の誠さんが暮らす自宅のリビングには、2人の大切な家族、ちたまちゃんの写真がお気に入りのブラシなどと共に飾られている。
2015年11月に25歳で旅立ったちたまちゃんは、人間で言えば100歳を優に超えるご長寿さんだった。


赤烏帽子に赤いちゃんちゃんこ姿でおすまし顔のちたまちゃん(撮影・村上昇平氏)

亡くなる前年に知人のカメラマンに撮影してもらった1枚は、昌美さんも編集に協力した書籍「ご長寿猫に聞いたこと」(日貿出版社)の表紙に採用された、とっておき。
赤いちゃんちゃんこ姿のちたまちゃんは、本に登場する103匹の長寿猫の最高齢として存在感を放っている。
「私たちにとっては特別な猫ですが、どこにでもいる普通の猫です。元々は夫の連れ猫、結婚した時にもれなく付いてきて。夫は25年、私が一緒に暮らしたのは12、3年になります」。昌美さんは懐かしむ。ミルクもうまく飲めない赤ちゃん猫を、誠さんが車の下で見つけたのが縁の始まり。小さい「たま」だから「ちたま」と名付け男手で育ててきた。
昌美さんが一緒に暮らすようになった時には、すでに2度の出産、子育てを終えていた大人の猫。
だからだろうか。
「どっしりと肝が据わってるんです。一緒に暮らしても嫉妬とかは全然なく、どうぞ、どうぞって感じで。世話もかからないし怒った記憶もなくて」
体はきゃしゃで小さめながら、食欲旺盛で病気知らず。
20歳を迎えるまでは病院のお世話になることもなかった。
それでも老いは例外なく訪れる。
眠る時間が増えていき、目や耳が悪くなると夜鳴きが始まった。
不安そうに「アオーン。アオーン」と大声を出すちたまちゃんをヨシヨシとさすり、落ち着かせた。
頻尿の症状が出たことで24歳の時に病院に連れて行って以降、腰が立たなくなった。
最後の1年は自力で下半身を動かせず寝たきりに。
だが、食欲は衰えなかった。
晩年に食べていたのはウエットタイプの市販のごはん。
何種類も用意して飽きがこないように工夫した。
好物のマグロのお刺し身やかつお節、海苔はご褒美のような形で与えた。
刺し身を差し出すとゴロゴロ喉をならして喜ぶ。
器の中のごはんは上体を懸命に起こし頭を突っ込むようにして食べる。
眠くなったら器を枕に寝落ちする。
生きることは、食べること、眠ること。
昌美さんは「生き物の原形」を実感した。
トイレの世話、床ずれを防ぐための体位変換、体を清潔に保つための洗面器での入浴。
動けない猫ちゃんを世話することは、当然、時間も手間も取られる。
だが、そんな暮らしを不幸だとは思わなかった。
「それも楽しかった。健康で元気でかわいい時だけがペットじゃないんですよね。全部込みです」
介護生活中には、誠さんがくも膜下出血で倒れて入院するという非常事態も訪れた。
「夫が戻ってくるまで、ちたまを死なせたらいけない」。
昌美さんの思いにちたまちゃんも応えてくれた。
ただ、3週間ぶりの感動の再会は肩すかしに終わった。
「動画に撮ろうと構えてたのに鳴きもせず、全く何もなかったみたいな態度で」。
当時の“塩対応“を思い起こして苦笑する。
それから2週間後、ちたまちゃんは2人が家にそろう日を見計らったかのように旅立った。
前日までは食べていたごはんを突然、受け付けなくなったのがサインだった。
2人に見守られ、静かに、ゆっくりと、息を引き取った。
「こんな穏やかな彼岸への移行もあるのかと。今、思い返しても崇高な時間でした。ちたまは生ききって死にました。あっぱれっていう感じでしたね」。
心配したのは、ちたまちゃんと25年を過ごした誠さんのペットロスだったが、意外なほど冷静に現実を受け入れていたという。
「俺も限界だったと思う」。
昌美さんにポツリ漏らした言葉は、偽らざる本音だったのだろう。
「生ききった」ちたまちゃんを見送る側も、精いっぱいの愛情を注ぎ、やりきったのだ。
「猫との暮らしの中に、生きることと死ぬことのお手本がありました。忘れられない暮らしと別れです」。
あれから4年、2人と一匹の暮らしは、2人の暮らしへと変わったが、心の中にはずっと、ちたまちゃんがいる。


「ちょうだい」大好物のマグロのお刺し身に思わず手が出る

【写真】

(デイリースポーツ・若林 みどり)


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