Quantcast
Channel: 動物たちにぬくもりを!
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3575

セラピー犬「チロリ」

$
0
0

先日、テレビ番組「坂上どうぶつ王国SP」でセラピー犬「チロリ」の特集がありました。
「チロリ」の生涯については、映画・絵本・記事などに数多くあります。
捨て犬という酷い環境にありながらひたすら人に尽くしてきた姿には感動させられます。
今回の放送を観ていて泣けてきました。
人間は動物たちに様々な多くの恩恵を受けているにもかかわらず、心無い人間が動物をモノ扱いして悲惨な生涯を送る可哀想な動物たちの現状・・・
安易に捨てたり虐待したりする非情な人間に対する重い罰則、自己中心・身勝手な人間を精進させないと不幸な動物たちはいつまでも発生します。
ネット上のいろんな記事の中からいくつかご紹介します。
(byぬくもり)

「子犬のへや」より
チロリとは?
チロリは、捨て犬という逆境を乗り越え、日本初のセラピードッグとして活躍した犬。

アメリカを拠点にブルースシンガーとして活躍する大木トオルさんは、1992年のある日、仕事の都合で日本に一時帰国していました。
彼が廃墟の裏を歩いていると、犬を取り囲む子供たちを偶然目にします。
そばに近寄って確認したところ、それは捨てられた母犬と5頭の子犬でした。
小さい頃から犬好きだった大木さんは、犬たちを放っておけず、仕事の合間を縫って里親探しに奔走しました。
その甲斐あって、子犬たちには全て貰い手が付きます。
残ったのは、2歳程度と思われる、足に障害を持った雑種の母犬だけでした。
大木さんは、当時自費で運営していたセラピードッグの訓練センターに彼女を連れて行き、飼うことを決意します。
セラピードッグとは、特殊な条件をクリアし、心や体に病を抱えた人たちの手助けをする犬たちのことです。
しかしこのときはまだ、チロリを訓練する予定はなかったといいます。
チロリの素質が明らかになったのは、彼女がセンターに来てから2ヶ月ほど経った頃でした。
大木さんはある日、末期がんを患っているシベリアンハスキーの横で、寄り添うように寝そべっているチロリの姿を目撃します。
「犬を介護する犬」の姿に感動した彼はこの時、彼女をセラピードッグとして訓練することを決意しました。
訓練を始めたチロリは物覚えがよく、他のどの犬よりも早く課題をクリアしていったといいます。
ただし苦手なこともありました。
それはステッキ状のものです。
「棒で虐待されたことがある」とにらんだ大木さんは、自分とチロリの間にステッキを置いて眠ることで、彼女の苦手意識を見事克服します。
こうしてチロリは50以上の教育課程を修了し、晴れて日本初のセラピードッグとなりました。
セラピードッグとなったチロリはその後、医療機関や福祉施設において笑顔を忘れた人やリハビリを諦めた人に元気を与えることに務めました。
するとその評判が徐々に広がり、全国から訪問依頼が殺到するようになります。
彼女の尽力もあり、2003年にはセラピードッグの育成・派遣・普及・啓蒙活動を専門的に行う 国際セラピードッグ協会 が誕生しました。
「国際セラピードッグ協会」が新設されて以降、チロリの後輩犬が続々と誕生するようになりました。
しかし、セラピードッグの認知度も徐々に高まりつつあった2005年12月、チロリに乳ガンが発覚します。
懸命の治療もむなしく、発覚からわずか3ヵ月後の2006年3月16日、チロリは大木さんに見守られながら静かに息を引き取りました。
享年推定16歳。
セラピードッグの普及に貢献したチロリの功績を称え、2007年5月には東京都中央区の「築地川銀座公園」に、彼女と子犬たちの銅像が建立されています。
また2013年7月には、チロリをフィーチャーした「チロリカフェ」が、東京都江東区にあるヴィーナスフォート1階にオープンしました。
名犬チロリ国際セラピードッグ協会

  

 チロリの写真

捨て犬という逆境を乗り越え、日本初のセラピードッグとして活躍した犬「チロリ」の写真です。
折れた左耳が特徴のチロリ。
大木さんがチロリを動物愛護センターから保護したのは、殺処分の当日だったという。

名犬チロリ 日本初のセラピードッグになった捨て犬の物語 


2007年5月、東京都中央区の築地川銀座公園に、チロリと子犬の銅像が建立された。


上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』

2017年3月8日

 大木トオル・ブルース魂の“ライフワーク”~殺処分ゼロを目指し飼い主を失った犬たちにセラピードッグとしての訓練を施し39年!

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

 
TORU OKI BLUES BAND in N.Y

アメリカで「ミスター・イエロー・ブルース」の称号を得たブルース歌手、大木トオルさんが、単身渡米を果たしたのは1976年。
実はそれは、音楽にけじめをつけるための旅でもありました。
頑張りすぎから胸の病に倒れ2年半の闘病生活の末、楽器を売り払ったお金を旅費に充てたわけですから、まさに音楽との別れの旅でした。
住んだところは、ロサンゼルスの黒人街の家。
路上のパフォーマーからピザ屋の店員まで、歌のうまい連中がゴロゴロいる街。
大木さんは「自分もブルースシンガーなんだ。」などとは、とても言い出せませんでした。
その辛い気持ちを、世話になっている家のママに打ち明けた時の言葉を、大木さんは、今も忘れることが出来ないといいます。
「この国でブルースを歌いたいなら、うまく歌おうなんて思っちゃダメ。ただひたすら、魂を込めて歌うのよ。」
初めてのギャラが5ドル。
これを振り出しに、黒人たちとバンドを組み、翌年から全米ツァーを開始。
ミシシッピーのデルタ・ブルース・フェスティバルでは10万人の観客たちを熱狂させ、翌日の新聞には「ミスター・イエロー・ブルース」の見出しが躍っていました。
と、ここまでは、ブルース歌手・大木トオルさんのサクセス・ストーリー。
しかしアメリカでは、仕事で成功しただけでは真の尊敬を得られません。
次に向けられる質問が「で?あなたの“ライフワーク”は、何ですか?」
“ライフワーク”
この言葉を耳にするたび、大木さんの胸に去来する一つの顔がありました。
それは、人間ではなく犬の顔・・・。
東京・日本橋生まれの大木さんは4歳の頃、言葉が出にくい吃音症を発症。
母親をも自由に呼べない中で、いじめを受け、孤立感を深めていました。
そんなとき、たった一匹の友となってくれたのが、家で飼っていた犬でした。
なかなか出ない大木さんの言葉を、犬だけはジッと待ってくれたのです。
大木さんが12歳の時、一家は離散。
家族みんなで夜逃げをするとき、その犬を置き去りにしてきたことが、深い心の傷となりました。
この心の傷が、大木さんが“ライフワーク”に選んだ「セラピードッグの育成」の原点なのでしょう。 


殺処分寸前を救助された捨て犬・被災犬達 (一般財団法人 国際セラピードッグ協会)

国際セラピードッグ代表をつとめる大木トオルさんが、その犬と出逢ったのは1992年。
彼女は5頭の仔犬とともに、松戸市のゴミの集積所に捨てられていました。
後ろ足に障害をもち、泥だらけになりながら必死に生きようとする姿に胸を打たれ、思わず抱き上げた大木さんは、母犬にチロリと名づけました。
大木さんが考案したセラピードッグ育成のための訓練カリキュラムは全部で2年半かかるそうですが、その内容をチロリは6カ月でマスター。
ただ、杖を持った人との歩行訓練が苦手だったのは、棒で叩かれた後ろ足が不自由だったためでしょう。
こうしてチロリは、日本初のセラピードッグになりました。
大木さんはおっしやいます。

 
大木トオルさん、チロリのセラピードッグ活動 (一般財団法人 国際セラピードッグ協会)

「これまで39年間のセラピードッグの育成活動で、セラピードッグになれなかった犬は、一頭もいませんでした。どんな犬でもセラピードッグになれるんです」
大木さんが育成するセラピードッグは、癒しの犬ではなく、治療のための犬を目指すといいます。
大木さんはチロリを投入した例を、紹介してくれました。
91歳のそのおじいさんは、要介護5のアルツハイマー病。
家族の顔も名前も分からない。
車いすに座ったまま、下の世話も任せきり~という状態でした。



ただ、おじいさんは、犬が大好きだった~という家族の証言を頼りに、チロりに会わせると、無表情だった顔にパッと生気がよみがえり、笑みを浮かべるようになったといいます。
おじいさんは、チロリの名前を知りたがり、呼びたがりました。
そしてとうとう、車いすから4年半ぶりに立ち上がり「チロリと散歩する」とまで、言い出したといいます。
おじいさんが集中治療室へ入った時、犬のチロリはもちろん入室禁止でした。
チロリの顔が大きく写った本の表紙を見せると、「チロちゃん、ありがとう、ありがとう。」と何度もつぶやいたというおじいさん。
そのお葬式には、チロリも参列。
いつまでも柩のそばを離れようとしないチロリの姿に、人々は涙したといいます。
今、大木さんのカリキュラムで訓練されたセラピードッグたちは1年間でのべ1万2,000人の患者さんを担当しているそうです。



◆手軽にネット上で観れる中身の濃い動画です。 

You Tubeより
「アイコンタクト チロリ物語」
https://www.youtube.com/watch?v=iCMSQUpNpu4


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3575

Trending Articles