膨大な負担も・・・動物ボランティア
「命を選ばなければならない悲しみ」
2019年3月15日(金) 現代ビジネス
写真:現代ビジネス
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「愛護団体なのになぜうちで飼えなくなった子を引き取らないんだ」
「困った人を助けるのがあんたらの仕事じゃないのか!」
「好きで犬猫の保護活動をやっているのに、受け入れないとは何事か!」
弾丸のように投げつけられる言葉……。
動物保護シェルターを運営している特定非営利活動法人『ランコントレ・ミグノン』の友森玲子さんのもとには、ひっきりなしにこんな電話がかかってくるという。
「動物保護関連のお問合せは、通常は仕事があるため、電話では受け付けていません。動物愛護センターへ処分の相談をした人たちの電話が回ってきて、多いときは日中まったく仕事になりません。ほとんどが、ペットの放棄をしたい、飼えないから引き取ってほしいといった依頼。どれも一方的な要求ばかりで高圧的。正直うんざりする毎日です。しかも、そういった動物の受け入れを拒否すると、受け入れないことを責められる。“動物ボランティアは何でもしてくれる”、“好きで活動をしているのだから何でもするのが当たり前”という論理があるのでしょう」と友森さん。
保護犬猫が話題になり、動物ボランティアを始める人、関心を持つ人も増えている。
しかし、実際の現場は厳しく、さらに多くの人に誤解されている面も多く、せっかくの活動で傷ついてしまう人もいる。
今回は、“動物ボランティア”が行っている活動とは何か、また、動物ボランティアが抱える問題も含めて、友森さんに話を伺った。
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友森さんが運営する東京・千駄ヶ谷にある施設は、グッズショップ&サロン、動物病院と動物シェルターの3つの柱が複合した作りになっている。
撮影/山内信也
動物ボランティアといっても形はひとつじゃない
“動物保護”、“動物ボランティア”とひとまとめにしがちだが、関わり方には様々な形があることをご存知だろうか。
代表的な種類はこんな感じだ。
・近隣の保護シェルターへ通いで世話をする人
・保護動物を自宅で預かる通称“預かりさん”と言われる人
・自分で保護団体を立ち上げる人(両立しやすいからか自営業の方が多い)
・地域猫を増やさないために捕獲をして不妊手術を施す活動(TNR)をする人
・飼い主のいない動物を保護して譲渡をする人
・募金や物資援助でサポートする人 など
活動している人のほとんどは、無利益で活動するボランティアだ。
別に仕事や家庭を持ちながらプライベートな時間を利用して保護活動を行っている。
それぞれが自分ができる範囲の保護活動を行っているため、自分の活動の範疇を超えた依頼には応えられないケースも少なくない。
例えば、地域猫の不妊去勢手術を行ってリリースする(TNR)を行っている人は、猫を保護して連れて行ってほしいと言われると活動範囲が異なるので、困ることもあるのだ。
一口でボランティアと言っても、ひとつではくくれない部分があることをまずは知ってほしいと思う。
私が運営している『ランコントレ・ミグノン』は現在、特定非営利活動法人(NPO法人)を取得しているが、同じようにNPO法人にしている団体、非営利の一般社団法人として行っているところもある。
また、そういった組織にせず、非法人として活動しているグループも数多く存在する。
小さなグループや個人での活動も加えれば、把握できないほど存在している。
活動の運営費用は、支援者からの募金や物資の援助が中心だ。
最近では、グッズ販売やイベント、譲渡形式のカフェ運営などで活動資金を得るために工夫をしているところも増えている。
しかし、懐事情が厳しい団体や個人も多く、自分の貯金を切り崩したり、生活費を切り詰めて保護活動を続けたりしているケースも少なくない。
「私が助けなければ」の使命感と悲劇
動物ボランティアをしている仲間と話をすると、最初は「仕事や家庭を犠牲にしないように、自分ができることを継続できる形で無理せず活動できたらいいな」という思いで始めた人がほどんどだ。
私自身もそうだった。
ところが、ボランティアを始めると、動物たちの厳しくつらい現実に直面する。
日々行き先がない、飼育放棄され行き場がない動物を目の当たりにする。
「なんでこんなことが!」という怒りや悲しみとともに、気づくと「私が助けなければ!」という思いが強くなり、全て引き取りたい気持ちが押さえられなくなってしまうことがある。
しかし、保護できるスペースは限られている。
活動資金の問題ももちろんだが、それ以前に、人間が世話できる頭数には限界がある。
それを無視して保護してしまうと、逆に保護した動物に悪影響が及ぶことも。
散歩にも連れて行ってあげられない、動物たちが落ち着けるスペースも与えられない、給餌や投薬などの健康管理もおざなりに……。
最低限以下のケアしかできなくなる危険もあるのだ。
顎の骨が折れてそのまま放棄されたプードル。
保護後、骨折した下顎骨の創外固定の手術を行った。
保護される動物は、病気やケガなど治療が必要なケースも少なくない。撮影/山内信也
必要経費も人員もスペースも余裕はない
経費も思った以上にかかる。
シェルター(保護して世話をする施設)で犬を例にお話すると、1ヶ月の経費は大型犬1頭の場合、食費は約5000~1万円。
他にトイレ用品やトリミング代など1ヶ月およそ1万~2万円もの必要費用を必要とする。
さらに、保護した動物たちは、悪環境で体調を崩していることも多く、高額な医療費がかかるケースも少なくない。
他に、団体によってはシェルターの家賃や設備費、人件費、光熱費、動物たちを保護し移動するための車代(ガソリン代)も必要だ。
シェルターでのボランティアも食事を与えるだけでなく、シェルターの掃除、犬の場合は散歩なども必須だ。
最低でも犬の場合は5頭で1人、猫の場合20頭で1人のボラティアを確保するのが理想と考えられる。
しかし、どの団体も飼育放棄されて保護する動物たちが多いので、資金的にも人員的にも無理して保護しているのが現状だ。
人間が満員電車にストレスを感じるように、動物にもパーソナルスペースは重要だ。
保護した動物数が多いからと、十分なスペースを与えず狭いケージや部屋に複数頭の犬を詰め込めば、彼らはストレスで喧嘩をし、咬み殺してしまうケースもある。
その咬み殺される様子を見ている周りの犬たちの恐怖も計り知れない。
また、力が強い犬や猫に食餌を奪われ、弱い犬や猫は恐怖で食べられず、餓死することもある。
さらに、犬は本来、高いところが苦手だ。
ところが、狭いスペースで多くの犬を保護すれば、ケージを積み重ねて収容することになる。
周りの犬が動くたびに揺れる不安定なケージの中で過ごす犬たち。
保護されたにも関わらず、「前の環境のほうがよかった」という残念な事態も起きているのだ。
ボランティアが崩壊という現実もある
ここ数年、“殺処分ゼロ”が動物保護の大きなスローガンになっている。
もちろん、殺処分を減らしていくことは大事だ。
しかし、殺処分ゼロだけを目標にしてしまうと保護する個体数が拡大し、その負担はほぼ動物保護団体にかかってしまう。
保護して、譲渡会などで新しい飼い主がうまく見つかれば良いが、現実はそんなに甘くはない。
特に高齢の動物の譲渡は難しく、シェルターが終の棲家になってしまうことも多い。
譲渡の可能性のない動物を救出する。
そして、飼育放棄される動物が多ければ、ケアできる人員やシェルターの空きスペースに見合わない数の動物たちを抱えることになってしまう。
その結果、動物保護団体が多頭飼育崩壊状態になり、破綻するケースも出てきている。
2016年には姫路で、2018年には東京・板橋で飼育崩壊が起きた。
今年2月には、東日本大震災後、福島で熱心に被災動物の保護を行っていたボランティアが飼育崩壊になったという情報も伝わってきている。
動物愛護団体で飼育崩壊が起きると、ボランティア、周辺の動物愛護団体などが声を掛け合い救助するということになる。
しかし、無理して保護数を増やし、動物愛護団体がアニマルホーダー(過剰飼育状態)になると、救出する動物の数は、100頭を超えることもある。
「一度保護された動物がまた殺処分になってはいけない!」と救助に関わる人たちは必死に預かってくれる人を探す。
そして、またそこでも無理をして預かる、という歪みのスパイラルが生まれてしまうのだ。
子猫は母猫代わりに排泄の介助、2~3時間おきのミルクなど付きっ切りのケアが必要に。
春から夏にかけての子猫シーズンはミルクケアのボランティア確保が課題になる。写真提供/友森玲子
殺処分ゼロの悲しい歪み
動物愛護相談センターでは、簡単に動物を引き取らないようにしている。
「もっとたくさんの動物たちを収容できるセンターを行政も作ればいいのに」という声もある。
確かにそれは理想だ。
しかし、動物の保護も致死処分も税金で行われている。
こういった行為が税金で行われることに対して、どこまで行政がすべき問題なのかは難しい。
現在、動物愛護相談センターの収容動物数は減少しているが、多かった時期には犬舎が満室になると、押し出し式に致死処分が行われていた。
そんなとき、動物愛護相談センターに行くと、翌日の処分が決まっている動物から、どの動物を優先して引き出すのか、命を選別しなくてはいけなくなる。
動物が好きで保護活動を始めたのに、そういった現実と向き合わされるのだ。
生死の選別なんてできない、全部保護したいと思う。
でも、譲渡先が見つからない動物を受け入れてしまうと、延々とシェルターを占有されてしまう。
その結果、ひとつの命は救えるが、結局は将来に救えるであろう複数の動物を見殺しにすることにもなってしまう……。
しかし、そうとわかってはいても、目の前に明日いなくなる動物を見ると、先のことを考えずに連れて帰りたくなってしまう。
日々、そんな葛藤の繰り返しだ。
保護活動を継続し、結果的に多くの動物を救うには、強い自制心が必要だということを知った。
命を選別せざるを得ない苦しみ
かといって、選ばなかった=見殺しにしてしまった動物たちの顔は、ずっと忘れることはできない。
一頭一頭今でも鮮明に覚えている。
中でも想い出深いのは、2015年の夏の出来事だ。
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その夏は、仔猫の収容がとても多かった。
仔猫の収容スペースは少ないが、つきっきりでミルクや排せつの介助が必要になるため、ケアしてくれる人員確保に追われていた。
私の施設も収容数がいっぱいで、人手もない。そんな余裕のないときに、状態の悪い22頭の猫たちが動物愛護相談センターへ収容された。
私が引き取らない猫は、翌朝一番で致死処分が決まっていた……。
無理をして5頭ならと、選んで引き取ることにした。
地域猫を保護していた高齢者が飼育できなくなり、収容された猫たちだった。
ウサギ用や小型犬用の小さなとても汚いケージの中で飼われていて、人馴れもなく、高齢の猫が多い。
どんな猫でも助けたい。
しかし、こちらにもキャパがない……。
断腸の思いで、先を考えなるべく若くて触れそうな子を助けよう、と1頭ずつチェックをすることにした。
小さな保護箱に移し替えられた猫たちは、一様に恐怖のあまり奥の暗がりで、体をこわばらせギュッと固まってよく見えない。
「お願いだから、顔を見せて。助けられるかもしれない。じゃないと明日死んじゃうんだよ、お願い」
動物愛護相談センターの湿ったコンクリートの床に膝をついて覗き込んだ。
何度も何度も見返して、5頭を選んで連れ帰った。
しかし、気持ちは晴れない。
一晩中、自分の選択に自信が持てず、「もっとよく猫を選ぶべきだった」、「無理をしてももっと引き出すべきだった」と後悔をした。
結局あきらめ切れず、眠れぬまま翌朝一番に再度センターを訪問し、処分の前にさらに5頭の猫を引き取った。
これが私が引き取れる限界だった。
私がセンターを出たあと、残りの12頭はその日処分されたという。
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命を選択するなんて現場は本来あってはならない。
本音を言えば全頭引き上げ助けたい。
でも、そうすれば、自分の施設にいる動物たちに別の苦しみを与えることになる。
この葛藤は動物ボランティアをしていてもっともつらいことだ。
しかし、私以上に苦しい気持ちを抱えているのは、殺処分を行う行政の職員だ。
殺処分の朝、猫たちがいたケージを見ると、中にはおいしそうな猫缶が少し残っていた。
「最後にせめて美味しいものを食べさせてあげたかったから」とうつむく彼らの苦しみも私たちは、理解しなくてはいけないと思う。
ボランティアがきっとどうにかしてくれる、では動物放棄問題は解決せず、新たな問題が生まれるだけだ。写真提供/友森玲子
ボランティア任せでは、飼育放棄は終わらない
冒頭で、ひっきりなしに電話してくる、犬猫の引き取りを強要する人たちの話をした。
そういった方々に、「うちでは引き取れません」とお話するのはこういった背景があるからだ。
「飼えなくなったから面倒をみてくれ」を簡単に許してしまったら、より緊急性が高い状態の動物を救えなくなる。
動物ボランティアの収容数も人員も無限ではなし、便利屋さんでもない。
「動物の面倒なことはボランティアに任せる」ではなく、自分たちでできることは極力自分で行ってほしいと思う。
簡単に、もう飼えないと手放す前に、何か策はないかじっくり考えてほしい。
そして、動物と暮らしている人は、自分に何かあったとき、万が一のときにきちんと面倒をみてくれる人がいるかを事前に確認し、確保する必要がある。
また、これからペットを飼う人は、衝動的に決めるのではなく、20年以上の寿命と合わせて最後までケアできるかを考えて、飼育を選択してほしい。
ペットショップの生体販売問題など、行政も交えて法改正しなくていけない問題も多い。
しかし、同時に個々の意識も変わらなければ、動物放棄は終わらない。
命の選別がない時代は、私たち人間が作らなければならないのだから。
友森 玲子