置き去り犬「めぐちゃん事件」愛犬家の漫画家が憤った判決の理由
2018年6月2日(土) 現代ビジネス
<漫画家で小説家でもある折原みとさんは、八ヶ岳で「犬と人が一緒に楽しめるお店が欲しい」とドッグカフェ経営を試みたこともあるほどの愛犬家だ。その経営は5年で破綻するが、金銭的な負荷もさることながら、客の犬が店の前で事故に遭ったことも折原さんの心に大きな影を落とし、閉店を決意する原因になったという。その折原さんが今とても心を痛めていることがある――。>
最近、ある動物に関する裁判の判決が、愛犬家の心をざわつかせた。
ゴールデンレトリバー、めぐちゃんの置き去り事件だ。
私自身も、先代の「リキ丸」に続き、現在は「こりき」というゴールデンレトリバーを飼っている。
小学生のときから「大きくなったら犬を飼う!」という夢を持っていたが、ようやく実現させたのは30代になってからのこと。
犬を飼える生活と環境、ひとつの命を守り育てるだけの自信と責任感を持てるまでには、それだけの年月が必要だったのだ。
現在、犬と暮らして21年目の私にとって、この事件は他人事には思えなかった。
雨の中で置き去りにされた犬
事の起こりは、2013年6月下旬のことだ。
東京・吉祥寺にある公園に、一頭のゴールデンレトリバーが口輪をはめられ、リードで柵につながれていた。
犬を保護した主婦Aさんは、警察、保健所、公園事務所に連絡。
警察に預けると、保健所での収容期限が切れる数日で殺処分されてしまうことから、自宅で預かることにする。
SNSに飼い主を探す記事を投稿したが、飼い主は現れず。
しかも、少し前にも別の場所に置き去りにされていたことがわかった。
その時は、飼い主が表れて引き取られたが、再度の置き去り。
Aさんは「めぐ」ちゃんと名付けたその子を家族に迎える決心をし、大型犬を飼える住居に引っ越した。
が、3ヵ月後の9月中旬、めぐちゃんの「拾得物」としての期限が切れる10日前、元飼い主の女性が現れ、めぐちゃんを「返還してほしい」と申し出たのだという。
報道によると、元飼い主の女性は「犬を捨てたのは、会社の上司でもある交際相手の男性。
彼を怒らせると、結婚が破談になり、職も失うと思い、今まで名乗り出ることができなかった」と説明したという。
「その男性と別れ、犬を飼えるようになったので返してほしい」という元飼い主の言葉に、Aさんは納得することができなかった。
どんな理由があれ、めぐちゃんの遺棄を容認し、3ヵ月も放置していた元飼い主を信頼することができず、めぐちゃんの返還を拒否。
あくまで返還を望む元飼い主の訴えにより、めぐちゃんの所有権をめぐる裁判に発展してしまったのだ。
私がこの「めぐちゃん事件」のことを知ったのは、4年ほど前のことだ。
ネットで事のあらましを知り、めぐちゃんの返還請求、慰謝料請求に対する署名集めに協力することにした。それがこちらの「【拡散希望】ゴールデンめぐちゃんの裁判に関する署名のお願い」というブログである。
https://ameblo.jp/tatoushiiku-sos/entry-12069100049.html
ゴールデンは、だいたいにおいて甘えん坊だ。
人が大好きで、愛されるために生きているような犬種。
うちの「こりき」は、私が出かける時、いつも決まって二階のベランダから悲しそうな顔で見送っている。
二度も公園に置き去りにされためぐちゃんは、どれほど心に深い傷を負ったことだろう。
保護したAさんの SNSの記事によると、雨の日に遺棄されためぐちゃんは雨が降ると落ち着きをなくし、分離不安も強かったそうだ。
Aさん家族の元で愛情をいっぱい受け、心の傷が癒えてきたのなら、そのままでいる方がめぐちゃんのためなのではないかと思った。
今になって元の飼い主さんに戻したら、めぐちゃんはまた「捨てられた」と思うのではないかと心配だったのだ。
元の飼い主の所有権が勝利
裁判が継続している間はネット上に経過を公開することはできなかったのだろう。
その後、めぐちゃんがどうなったかはわからず、ずっと気になっていた。
そして、つい先日、ニュースでようやく裁判の結果を知ることとなった。
判決は、めぐちゃんを保護した主婦、Aさんの敗訴。
犬を置き去りにしたのは本人ではなく交際相手の男性だったこと。
遺失物法が定める期限内に遺失物届を出していたことなどから、東京地裁は「元飼い主が犬の所有権を確定的に放棄したとまでは認められない」と判断。
Aさんは控訴したものの、東京高裁も一審判決を支持した。
2018年4月下旬、Aさんの元へは、元飼い主の女性からめぐちゃんの返還を求める内容証明が届いているという。
「動物は、法律の上では『物』としか扱われないの?」
この判決には、多くの愛犬家が疑問や憤りを感じたことと思う。
私もその一人だ。
めぐちゃんをめぐる関係者の方たちに対して、どちらが「正しい」「悪い」と論じたいわけではない。
納得できないのは、この裁判の中で、めぐちゃんが命ある「生き物」ではなく、「物」のように「所有権」を争われたことだ。
本当に、法律上、動物は「物」でしかないのだろうか?
いや、一概にそうとは言えない。
「動物愛護管理法」という法律があるはずだ。
正式には、「動物の愛護及び管理に関する法律」は、動物愛護(虐待防止、生命尊重)と動物管理(動物により人の生命、身体及び財産に対する侵害を防止すること)を目的としている。
この法律によると、愛護動物(牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、うさぎ、鶏、家鳩及びアヒル。人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するもの)をみだりに殺したり傷つけたりした場合は、2年以上の懲役又は200万円以下の罰金。虐待や遺棄した者も、100万円以下の罰金に処されるなど、さまざまな罰則が定められている。
では、どうしてめぐちゃんをめぐる裁判では、前述のような判決が下ったのだろうか。
勝浦総合法律事務所の坂本一真弁護士にお話を伺ってみた。
「残念ながら、今回のケースの場合、犬が『物』であることが大前提になっています。元飼い主が遺失物届を出している等の事情から、あくまで所有権は元飼い主にあると認められたことになります。保護した方は、犬を助けようとして拾ったとしても、直ちに所有権を獲得できるわけではないのです」
端的に言うと、めぐちゃんは「遺失物」だから、所有権を持つ元飼い主に返さなければならないということだ。
ゴールデンレトリバーは人が大好きな甘えん坊だ 写真提供/折原みと
犬の「虐待」と「所有権」は別問題
動物愛護の観点が、民法の所有権において考慮されないというのは、動物を家族のように思う人間にとっては納得しにくいことだ。
今回の件で何よりも危惧されるのは、14歳という高齢のめぐちゃんにとって、今さら飼い主や環境が変わるのは、精神的にも健康上も悪影響が大きいのではないかということだ。
裁判ではその点は考慮されなかったのだろうか?
「民法上は犬は『物』なので、えんぴつやパソコンと同じで、『環境が変わる』ということは考慮されません。個人的には私も思うところがありますが、民法上は、それで犬が精神的に悪影響を受けるとしても所有権が移ることはありません」(坂本弁護士)
人間の感覚とはずれている冷徹な法律の解釈。
それが、めぐちゃん事件に対する判決の理由だった。
では、これが人間の子どもだったら?
もしもめぐちゃんが「物」じゃなかったら。
例えば、「人間の子ども」だったとしたらどうなのだろう?
この点についても、坂本弁護士に伺ってみた。
坂本弁護士は離婚弁護を多く取り扱っている。
「仮に2~3歳くらいの子どもが放置されていて、児童相談所に保護されていたとします。3カ月後に母親が名乗り出てきたら、原則として『親権』があるのでやはり親元に返されることになります。ただし、虐待などの事実が証明され、親権の行使が不適当であることによって子どもの利益を害すると思われるときには、最長2年の『親権停止』や『親権喪失』を申し立てることができます。この申し立てができるのは、子どもの親族、検察官、未成年後見人としての市や区、児童相談所長など。子ども本人も申し立てすることができます」
だが、自治体の第三者機関が申し立てを行った場合、虐待と認定されるには具体的証拠をかなり集める必要があるし、時間もかかる。
人間でも虐待を証明することは簡単でなく、親権はそれほど強いと言える。
ただ、救われるのは、大きくなって言葉が話せるようになれば、子ども本人からも申し立てをすることが可能だということだ。
もしも、めぐちゃんが言葉を話せる人間の子どもだったとしたら、いったい何を望んでいるのだろうか・・・?
「こんな無防備な寝顔を、飼い主として一生守ってやりたい」と折原さんは言う 写真提供/折原みと
動物を飼う人間の「覚悟」とは
以前、我が家の近所に、雨の日でも外につながれっぱなしの犬がいた。
近所の犬好きたちが心配して保健所に相談、注意してもらったところ、そのあとはガレージの中で飼うようになった。
しかし、今度は真夏の暑い日でもガレージに入れっぱなし。
散歩に連れて行っている様子もなく、よく犬の鳴き声が聞こえてくる。
再度、保健所や住宅街の管理事務所にパトロールしてもらったが、飼い主が「虐待はしていない、散歩もしている」と主張したため、それ以上どうすることもできなかった。
しばらくしてその家は引っ越してしまったが、あの犬が元気でいるかどうかは、ずっと心から離れなかった。
動物愛護管理法には、「なにびとも、動物をみだりに殺し、傷つけ、または苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性をよく知った上で適正に取り扱うようにしなければならない」という基本原則が掲げられている。
しかし、この法律は、まだまだ実際の社会において、大きな効力を発揮しているとは言い難いように思える。
「民法」は義務や権利の存否をめぐる法律であるのに対し、「動物愛護管理法」はあくまで国が「こうしましょう」という遵守性の低い法律だからだ。」
動物愛護管理法の基本原則に反して、民法上では動物は「物」扱い。
自分の所有物をどう扱おうと所有者の自由だ。
飼い主は、動物の生殺与奪の権利を持っている。
しかし、だからこそ、動物を飼う人間は「覚悟」を持たなければならないのだ。
「所有物」である動物を一生守り、愛し、幸せにする覚悟。それを持たない人間に、動物を飼う資格はない。
最初に飼った「リキ丸」を2011年に亡くしたとき、リキ丸は13歳。それでも天寿を全うした幸せな犬と言われた。めぐちゃんは今14歳だ。写真は現在飼っている「こりき」と 写真提供/折原みと
動物には「心」がある
今回の一件に関しては、元飼い主の女性も、10年近くめぐちゃんと共に生きてきたのだ。
交際相手による放置後、しばらく名乗り出ることができなかったのには、やむにやまれぬ事情があったのかもしれない。
5年もの間、諦めずに返還を望んでいるのは、めぐちゃんに対する愛情があればこそだと思いたい。
保護した側にも、元飼い主にも、それぞれの想いがあるのだ。
詳しい事情を知らない第三者が、関係者を責めたり、誹謗中傷するようなことはあってはならない。
誰がいい、悪いと感情的になるのではなく、この事件をキッカケに、動物の命を預かる責任について、改めて考えることが大事だ。
そして、この裁判の理不尽とも思える判決が、法律上の動物に対する扱いを、少しでも見直していくための一歩になってほしいと思う。
動物は「物」ではない。「命あるもの」だが、それだけではない。
動物は、「心あるもの」なのだから。
めぐちゃんを保護し、5年間愛情を注いで来たAさんは、未だ引き渡しには応じていないという。
だが、いつ強制執行がおこなわれるかわからず、不安に脅える毎日だそうだ。
裁判所の判決をくつがえすことはできないが、どうか今からでも、当事者同士で、めぐちゃんにとって一番いい状況を考え、行動してほしい。
ゴールデンレトリバーの寿命からいって、14歳のめぐちゃんに残された時間は、もうあまり長くはないだろう。
めぐちゃんが最後まで安心して幸せな一生を全うできるよう・・・それだけを、心から祈っている。
折原 みと