私の母が犬を飼わない理由
2017年6月23日(金)わんちゃんホンポ
私の母が決めたルール
私の実家では、母が決めた絶対のルールがあります。
それは、「何があっても犬は飼わない。」というルールです。
子供の頃から動物が大好きだった私は、「犬を飼いたい!」と何度泣いて頼んでも、絶対に破られることはありませんでした。
その反動で今もこの歳まで、動物看護師をしているのかもしれません。
母が頑として犬を飼わない理由。
それは、実家で飼っていた最初で最期の愛犬「ミッキー」のことがあったからです。
ミッキーとの思い出
私がまだ幼稚園の時、我が家ではミッキーという名前の犬を飼っていました。
紀州犬と雑種のミックスで、白と黒の毛色から姉がミッキーと名付けました。
ミッキーは近所の友達の家で生まれ、私と同じように動物好きな小学生の姉が両親に頼み、初めて飼うことになった犬でした。
子供の守られることがない約束
「私達が面倒みるから!」
その言葉に母は騙され、渋々ミッキー飼うことなったそうです。
結局、面倒をみることになったのは両親でした。
父と母は犬を飼った経験がありませんでした。
何の知識もなく、よく解らないままミッキーを飼いはじめました。
今でこそドックフードの種類はたくさんありましたが、その頃は犬のご飯は家族の残飯で、ワクチンやフィラリアの予防は、お金持ちの血統書のある犬がするものと思われていた時代です。
「犬は番犬」、「犬は外で飼うもの」、「犬にお金をかけるなんて、お金持ちがすること」、そんな時代でした。
ミッキーを飼っていた頃、両親は共働きでした。いつも幼稚園が終わると、私は裏口から家に入ります。
ミッキーは、家の小さな庭で父が作った小さな犬小屋で飼っていました。
裏口に周るとミッキーの小屋があり、私が帰ると嬉しくてしっぽをバタバタさせて喜んでくれました。
母が仕事でおらず、姉は学校、誰もいない家に帰ってきた私にとって、ミッキーは最高の遊び相手でした。
私が帰ると唯一、「お帰り!」と言ってくれるのがミッキーでした。
それが私が覚えている数少ないミッキーとの思い出です。
交通事故
ミッキーが生後半年ほどたった頃、父が散歩に行こうとリードを付け替えようとした時、事故はおこりました。
ミッキーは、少し空いた裏口のドアから飛び出し、家の前の道路で車に轢かれてしまいました。
両親はその頃は数少なかった動物病院にミッキーを連れていきましたが、獣医さんに「半身不随で介護なしでは生きていけない」と言われたそうです。
父も母も悩みましたが、小学生と幼稚園の娘2人がいる上、共働きの両親。
犬の介護をする余裕はありませんでした。
ミッキーの最後
獣医さんから介護なしでは生きれないと聞かされた父は、ミッキーの安楽死を決めました。
獣医さんと話している時、ミッキーは母の顔をじっと見つめ、怯えた目で痛みと闘いながら、一生懸命訴えているように見えたそうです。
「殺さないで・・・」
そんな風に見えたといいます。
両親は、最初ミッキーは事故で死んだと私達に話していました。
私が小学生になった頃、犬を飼いたいと訴える私にミッキーがどうして死んでしまったのか教えてくれました。
母は犬を飼ったことを今でも後悔しています。
不注意で半身不随にさせてしまったこと、介護することもできず安楽死させてしまったこと。
「今でもあの目を忘れることはない、でも助けることは出来なかった。時間もお金も余裕がないのに、私達は犬を飼うべきではなかった。」
ミッキーが亡くなってから30年近く経ちますが、今でも母は私にそう言います。
最後に
子供の頃、ミッキーを安楽死させてしまった両親に対して怒りの気持ちがありました。
どうして介護しなかったのか?なんとか出来なかったのか・・・。
犬を飼うのを反対されていたこともあり、余計怒りが湧いてきたのかもしれません。
安楽死を選んだ両親を今も理解することは出来ませんが、もしあの時私が両親の立場だったなら・・・と考えることはよくあります。
現在、私は愛犬である老犬の介護をしています。
その前に飼っていた愛犬も介護をして看取りました。
簡単に介護といいますが、犬の介護は綺麗事では片付けられない程大変です。
自分の生活を犠牲にしても、それでもまだ足りません。
それにお金も時間も必要です。
今、自分が愛犬の介護をしていて思うのは、犬を飼うのは簡単かもしれませんが、看取ることはその100倍、それ以上大変なのです。
「子供が犬を欲しがったから」、「子供が喜ぶから」、「誕生日のプレゼントに」、という理由で犬を飼う方もいるかもしれません。
しかし、犬はおもちゃではありません。
何年も生き、病気や怪我もして老犬になれば、介護が必要になる時が来るのです。
犬を飼うということがどういうことなのか、今一度よく考え、おもちゃ感覚で無知なまま犬を飼う方がいなくなることを願っています。