はな子の思い出を記録集に 市民から写真550枚(東京)
2017年5月27(土) 朝日新聞
井の頭自然文化園で「はな子」の背に乗る木藤一郎さん=1950年ごろ
26日に一周忌を迎えたアジアゾウ「はな子」。
井の頭自然文化園(武蔵野市)の人気者だった「彼女」との思い出の記録集の制作が進んでいる。
呼びかけに応じた市民から、約550枚の写真が集まった。
記録集の仮題は「はな子のいる風景」。
市立吉祥寺美術館の事業で、古い映像で市民参加型の記録を作る大阪市のNPO法人「記録と表現とメディアのための組織(remo)」の「アーカイブ・プロジェクトAHA(アハ)!」と名付けた企画の一環。
AHAは「Archive for Human Activities」の略だ。
これまでも同美術館と協力し、地域住民による写真・映像記録の発掘・活用事業を進めてきた。
はな子の記録を収集してきた自然文化園とも連携している。
remoの松本篤さん(36)は「この地域の家庭の映像を集めるうち、はな子がそれぞれの家族の大事な場面にいることに気づいた。はな子の存在を通じて生活を振り返りたい」としている。
記録集は同美術館で9月に開催する企画展にあわせて発行される予定だ。
■協力した家族 振り返る
記録集に協力した3家族が、思い出の一枚とともに当時を振り返った。
はな子は1949年、2歳でタイから上野動物園(台東区)に。
50年から3年続けて井の頭自然文化園に移動動物園でやって来た。
その際、小平市の木藤(きとう)一郎さん(78)は初めてゾウを見た。
背に乗ると、足にはな子の毛があたった。
「ゾウの毛って硬いんだなあと思った」
地元の要望で、はな子が井の頭へ引っ越して2年後の56年、酔った男が忍び込み、はな子に踏まれて死ぬ事故が起きた。
木藤さんはゾウ舎に近い官舎で暮らしていた。
「はな子が『ブアー、ブアー』と明け方に鳴いていて、人が亡くなったと知った」
はな子は足を鎖につながれたが、60年には飼育員も事故死。
「転がった食べ物を取ろうとしても鎖に引っ張られて動けなかった姿を覚えている。かわいそうだった」
やがて新しく飼育員になった山川清蔵さんが鎖を外し、はな子は元気を取り戻す。
木藤さんは「はな子のまわりはいつも人垣ができていた。いて当たり前の存在でした」。
埼玉県の白川慎吾さん(62)は幼いころ父を亡くし、三鷹市の母子寮で育った。
仕事を三つ掛け持ちしていた母に休みはなく、なかなか遊びに連れて行ってもらえない。
だから、4歳で初めて目にしたはな子は忘れがたい。
「『こんなにでっかいものがいるんだ』と。いつもゾウに会えるのが楽しみだった」
武蔵野市の土井孝さんは初孫を皮切りに約20年間、園近くの自宅から4人の孫を次々に連れて通い、はな子が死ぬ前日に74歳で亡くなった。
長男の茂さん(45)は今月、吉祥寺駅北口にできたはな子の銅像に父の遺影を見せた。
「父は、はな子に癒やされているようだった。今ごろ向こうでも、はな子を見ているんじゃないかな」
(青木美希)