希望の牧場
母牛が命をかけて守った「いちご」
もーす(太田康介)のブログより
そこで暮らす二頭のホルスタイン牛。
その一頭に「いちご」と名付けられた牛がいます。
2015年撮影
いちごは2011年7月に保護された乳牛になるホルスタイン牛の女の子。
彼女がいた場所は死臭漂う南相馬にあった牛舎。
いちご以外の牛たちはすべて餓死していて・・・
いちごは亡くなった母牛のそばを離れないで生きていたのです。
皆さん想像してみてください。
いちごが生まれたのは震災後の3月15日 といわれています。
15日生まれだから いちごと名付けられました。
ということは、彼女が生まれた時にはすでに人間は逃げてしまっていたということ。
ある程度の餌は畜主さんが置いて行ったにせよ餌をすぐに食べつくしてしまったであろう母牛。
すぐにやってくる苦しい飢餓、それでもいちごにミルクを与え続けたでしょう。
死ぬまで・・・
「わたしはもうだめ」
「あなたは生きなさい」
映画やドラマの中ならクサイ台詞です。
しかしここで母牛は本当にいちごにそう伝えたに違いありません。
想像してください。
一頭の牛がラッキーにも生きていた、そんな簡単な話じゃないのです。
分かったような気にならないでください。
私が目撃した牛舎は餌がなくなっても水があれば約3週間は生きていた牛がいました。
いちごが母親と一緒にいられたのは長くてもほんの3週間以内。
母牛が亡くなりおっぱいを貰えなくなったいちごは、なんとか自力で動けるところまで成長していて、牛舎の横に流れる川で喉を潤し、周りに生い茂っている草を食べて生き延びたのです。
でも母親のそばを離れることが出来なかった。
なぜか起きてこない母親、腐りウジが沸き 形が無くなっていく母親、それでも5ヶ月間いちごは一緒にいたのでした。
やがて希望の牧場チームがレスキューに、いちごはこの時初めて人間を見ました。
逃げ回るいちご、でもとうとう部屋の隅に追い詰められてしまいます。
助けてやるぞ!
でも、いちごにはそんなことは分かりません。
見たことのない人間に囲まれて、たいそう怖い思いをしたでしょう。
この時はおーあみさんも一緒でしたね。
希望の牧場に移動。
ほんの7、8分で希望の牧場に到着。
小さかったいちご。
まだ人間が抱かかえることができていたのですね。
トラックから下ろされていちごはすぐに放されました。
ここで皆と生きていくんだよ。
自分と違う毛色の黒毛和牛が怖くて、このあと数日行方不明になるも勇気を出して自力で再度合流。
そして現在、
4月30日撮影
こんなに立派になりましたよ。
母牛が命をかけて守ったいちごだから。
希望の牧場はその遺志を継ぎました。
ただの一匹の牛が生きている、その生きるということ生かすということがどれほど大変なことか、それをもう一度考えてみませんか。
俺はベコ屋、牛を生かすことが仕事だ。
今日も310数頭の牛を生かし続ける。
吉澤正巳 希望の牧場代表
コメント
1. まき 2017年05月12日 09:30
こう言う事実は少しも伝えられないですよね。
みんな同じように生きていたし、今も生きているのに。
いちご達が味わった壮絶な悲しみが癒されることは難しいと思いますが、少しでも幸多からんことを祈るばかりです。
2. きのこ 2017年05月12日 16:22
ほんとうにすみません、いちごやいちごの母牛が味わった飢餓と、次々と倒れて行く牛の中で母親の側を離れないいちご・・・想像してももっと惨い現実だと、もーすさんが教えてくれました。
こんな事は二度と起きて欲しくない、あってはならないと思います。
3. ロデム 2017年05月12日 19:10
いちごちゃんとお母さん牛に涙出ます。
お母さん牛の深い愛情、お母さんが倒れても離れなかったいちごちゃん。
過酷な生い立ちのいちごちゃんが今、立派に成長して嬉しいです。
しかし、他の牛も苦しみながら倒れていった。
このことは、震災から何年たっても忘れてはならないです。
命の重さは、人間も動物も同じなのだと思いしらされます。
そして、牛の世話も大変なことなのですね。
今後、いちごちゃんや犠牲になった他の牛や動物のようにならないためにもこのことをテレビで定期的に全国放送してもらいたいですね。
4. もも 2017年05月12日 21:59
311の時、私は被災して自分のことで精いっぱいでした。
でも動物たちは惨い目にあっているだろうと思い、身震いがするような気持ちに襲われました。
やや落ち着いてから様々なことを知りました。
政治のひどさ、一般の方が身を挺して頑張るありさま。
あの時、動物に関わった方がたは言うに言われぬ思いを抱えておられると思います。
私は、ただ頭を下げるしかありません。
もーす (太田康介)
フリーカメラマン
滋賀県大津市出身
2002年に保護をした、うちの猫である「とら」と「まる」を可愛がることしかしてこなかった私は、2009年、外猫のことも気になり始めます。
のんびり気ままに暮らしていると思っていた、外で生きている猫たちの生活は、注意して見るとあまりにも過酷で、うちのとらまるたちと外猫たちの環境が、あまりにも違うことにショックを受けたのです。
以来、外の猫たちの生活が少しでも良くなるように小さい活動を始めました。
誰にでも出来るこの日々の小さい活動が、皆さんそれぞれに広まっていくことを願いながらブログ記事を作っています。
写真集:
「のこされた動物たち」、「待ちつづける動物たち」 (飛鳥新社刊)
「しろさびとまっちゃん」 (KADOKAWAメディアファクトリー刊)
「うちのとらまる」 (辰巳出版刊)
原発一揆~警戒区域で闘い続ける“ベコ屋”の記録 Kindle版
針谷 勉(著)
福島第一原発事故により、牧場の放棄と家畜の殺処分を命じられた農家。
だが、それにあらがう男は「一揆」を決意。
敵は国、東電、そして放射能――。
“意地”だけを武器に闘い、絶望の淵で《希望の牧場》が生まれた――。
本書は、3.11以降も警戒区域内で「牧場の牛を生かし続ける」ことを選んだ、エム牧場・浪江農場長である吉沢正巳氏を中心としたドキュメンタリーだ。
不条理な国の殺処分命令に抵抗し、どのようにすれば、牛を生かし続けることができるのかを模索しながら、たどり着いたのが、人間にとっても「牛を生かす意味」があることを明確に打ち出した《希望の牧場・ふくしま》というプロジェクトだった。
この間、吉沢氏の活動はさまざまなメディアに取り上げられてきたが、その舞台裏は十分に伝えられていない。
国、自治体、東電などに対する、言論による闘い。
放射能を帯びた警戒区域内で身体への影響を顧みず、牛たちを保護、飼育することの過酷さ、そして喜び。吉沢氏の闘いをサポートする人々の姿。
さらには、吉沢氏と同様、「動物たちの命を助ける」という大義を掲げるも、実は私利私欲に走った人間たちの醜さ。
そうした状況の中から《希望の牧場》が生まれ、奮闘が始まるまでの物語を、1年半におよび、プロジェクトのメンバーとして自ら吉沢氏をサポートしてきた著者がまとめたのが本書である。
思わず目を背けたくなるような写真も含まれるが、これもまた「3.11の真実」なのだ。
針谷勉[ハリガヤツトム]
1974年生まれ、栃木県出身。映像ジャーナリスト。APF通信社所属。ニュース番組のテレビディレクターとして、おもに国内の事件、事故、社会問題などを取材。オウム真理教や、ビルマで2007年に銃殺された長井健司記者(APF通信社所属)の追悼取材がライフワーク。2012年4月23日から非営利一般社団法人“希望の牧場・ふくしま”の事務局長を務めている。